「同じ種類の人は同じ感情をもつ」幸田露伴『努力論』に学ぶ、人を理解するための共感の原理
「同じ種類のものは同じ感情をもつ」という真理
幸田露伴は『努力論』の中で、人間関係の本質を突く言葉を残しています。
鳥には鳥の感情があり、獣には獣の感情がある。
種類の同じものは同じ感情をもち、種類が異なれば感情もまた異なる。
つまり、同じ立場・環境・経験をもつ者同士は、共通の感情を抱きやすいということです。
これを露伴は「同類感情」あるいは「同種感情」と呼びました。
一見単純な理屈に見えますが、これは現代の心理学でいう「共感のメカニズム」に通じています。
鳥が獣の感情をもつことはできない
露伴は動物の例を通して、人間社会の本質を説明します。
鳥が獣の感情をもつことは不可能であり、獣が鳥の感情をもつことも不可能だ。
これはつまり、自分とまったく異なる立場の人の感情は、完全には理解できないということ。
例えば、子育てをしていない人が親の苦労を完全に理解することは難しい。
経営者と従業員、医療者と患者、教師と生徒――それぞれの「立場」によって、感じ方の世界が異なるのです。
それでも、理解しようとする姿勢こそが「人間としての教養」だと露伴は示唆しています。
人間社会における「同種感情」の広がり
露伴は、人間にもさまざまな「同種感情」があると述べています。
同じ年齢の人には同齢感情があり、
同じ時代に生きる人には同時代感情があり、
同じ国の人には同邦感情があり、
同じ職業の人には同職感情がある。
これらは現代でいえば、「世代意識」「文化的共感」「コミュニティ意識」などに相当します。
SNSやオンラインコミュニティで「同じ価値観の人とつながりたい」と感じるのも、まさにこの“同種感情”が働いているからです。
人は誰でも、自分と同じ世界を共有する人と出会ったとき、安心感や一体感を覚えるもの。
それは単なる好みではなく、生きる本能に根ざした自然な感情なのです。
同種感情が「共感力」を育てる
この考え方を人間関係に応用すると、重要なヒントが見えてきます。
それは、相手の感情を理解するには、まず“相手の世界”に近づく努力が必要だということ。
たとえば——
- 職場で後輩を理解したいなら、自分が新人だった頃の気持ちを思い出す。
- 患者を理解したいなら、痛みや不安を想像してみる。
- 異文化の人と接するなら、その国の背景を学んでみる。
このように、相手の「同種感情」に寄り添うことで、単なる知識を超えた共感が生まれます。
露伴が説いた「感情の理解」は、心理学的な「エンパシー(共感)」の根源ともいえるでしょう。
同種感情に依存しすぎる危うさ
一方で、露伴の教えを深読みすると、同種感情への偏りも警戒すべきだと分かります。
同じ職業・同じ世代・同じ国の人たちだけで共感し合うと、
「異なる感情を排除する」危険性が生まれるのです。
- 自分たち以外を理解しようとしない
- 他者の感情を低く見てしまう
- 違う意見を“敵”だと感じる
これらはまさに「同類感情」が歪んだ形で表れたものです。
露伴の教えを現代に活かすなら、「同種感情でつながり、異種感情を尊重する」というバランスが大切です。
まとめ:「同じ感情」を出発点に、「異なる感情」を理解する
幸田露伴の「同種感情」の考え方は、単に“似た者同士の共感”を説明しただけではありません。
そこには、「人は同種の感情をもつがゆえに、異なる感情を学ばねばならない」という深い教えがあります。
共感は“同じ”から始まる。
しかし、真の理解は“違い”を受け入れたときに生まれる。
露伴の言葉は、共感があふれる現代においてもなお、**「本当の理解とは何か」**を問いかけてくれます。
