「古い=良い」でも「新しい=良い」でもない――幸田露伴『努力論』に学ぶ“本質を見抜く力”
「古い=良い」も「新しい=良い」も、どちらも錯覚
幸田露伴は『努力論』で、人の価値判断に潜む“思い込み”を指摘します。
「ビールは新しいほうがよく、ワインは古いほうがいいといっても、注意が必要だ。」
つまり、物の価値は時代の新しさや古さだけで決まるものではないということです。
露伴は、ビールやワインという身近な例を挙げながら、こう続けます。
「新しいビールでも、醸造法と材料が悪ければよくない。古いワインでも、原料や保存法が悪ければよくない。」
“古いものは価値がある”“伝統は正しい”という思い込みも、
“新しいものは便利で優れている”という思い込みも、どちらも非論理的だと断言します。
「時代」ではなく「中身」で判断する力
露伴の主張は、単なるモノの話ではありません。
それは、私たちの思考・行動・生き方そのものに通じる哲学です。
たとえば、仕事の方法や学びのスタイルでも、
- 「昔ながらのやり方のほうが確実だ」
- 「新しいツールを使えばすべて解決できる」
と極端に考えてしまうことがあります。
しかし、露伴が言うように、**本当に大切なのは“方法”ではなく“質”**です。
新しいことも、古いことも、
「どれだけ本質に忠実か」「どんな理念に支えられているか」で価値が決まるのです。
ワインと薬の比喩に込められた真意
露伴はさらに、薬の例を出して説明しています。
「新薬だからよく効き、旧薬だから効かないということはない。新薬でも効き目がないために捨て去られるものもある。反対に、旧薬でも昔から愛用され、今も評価されているものも少なくない。」
ここで露伴が伝えたいのは、「時代に左右されない真価」という考え方です。
時代が変わっても、よいものは生き残る。
逆に、どれほど新しくても、根拠や実質がなければ淘汰される。
これは、商品だけでなく、人や考え方にも当てはまります。
新しい価値観や技術が注目される今だからこそ、露伴の言葉はより重みを増しています。
流行や伝統に惑わされない“成熟した目”を持とう
現代は、SNSやメディアを通じて、常に“新しい情報”が流れ込んできます。
しかし、それに振り回されてばかりでは、判断力を失ってしまいます。
一方で、古い価値観ややり方に固執しすぎるのも同じこと。
大切なのは、「なぜそれが良いのか」を自分の頭で考えることです。
露伴の言葉は、こうした“思考の独立”を促しています。
流行にも伝統にも距離を置き、「本当に意味のあるもの」を見抜く力を持つ。
それこそが、成熟した人間の判断です。
「新しいか」「古いか」より、「誠実かどうか」
露伴の思想を一言でまとめるなら、
「価値とは“誠実さ”の上に成り立つ」
ということです。
ものづくりでも、教育でも、人間関係でも、
丁寧に、誠実に積み重ねてきたものは、時代を超えて残ります。
逆に、どんなに最新でも、表面だけを取り繕ったものはすぐに消える。
露伴が語る「新旧の価値論」は、誠実な努力を信じる人間の哲学でもあるのです。
まとめ:本質を見抜く目を養おう
幸田露伴の「古ければいいということでもない」という言葉は、
時代や流行に左右されない本質的な価値観を持て、というメッセージです。
古さにも新しさにも偏らず、
「中身」「質」「誠実さ」を見極めること。
それが、どんな時代にも通じる“努力と判断の美学”です。
流行や常識に流されそうになったときこそ、
この露伴の言葉を思い出してみてください。
答えはいつも、“新旧の外側”にあります。
