「過程短縮を考えないのがお役所仕事」——幸田露伴が100年前に見抜いた“非効率の本質”
「お役所仕事」という言葉の本質
「お役所仕事」という言葉には、昔から「融通がきかない」「手続きが遅い」「責任を取らない」といった否定的な意味が込められています。
しかし、この表現を単なる批判に終わらせず、人間の働き方そのものを見直す警鐘として語ったのが幸田露伴です。
露伴は『努力論』の中でこう述べています。
「お役所仕事というものの評判が悪いのは、その仕事に携わっている人たちに“過程の短縮”という観念が非常に乏しいのが最大の原因である。」
つまり、問題は“公務員という職業”そのものではなく、
「過程を短縮する意識が欠けていること」こそが、非効率の根源だというのです。
「過程短縮」とは何か?
ここで言う「過程短縮」とは、単にスピードを上げることではありません。
露伴が前の章(第180章)で説いたように、それは「時間の有効化」「無駄を省き、本質に集中する」という姿勢を意味します。
たとえば、
- 同じ書類を何度も提出させる
- 担当部署をたらい回しにする
- 形式を重んじて実質を軽んじる
こうした行為には、「どうすればもっと早く・正確に・便利にできるか」という改善意識が欠けています。
露伴は、この“思考停止”こそが「お役所仕事」の象徴であり、
その発想の貧しさが人々を不快にさせるのだと喝破しているのです。
「効率化」と「責任感」は表裏一体
露伴が鋭いのは、「過程短縮ができない人ほど、責任感も薄い」という人間観察を暗に含んでいる点です。
過程を短縮するには、現状を疑い、改善しようとする主体性が必要です。
しかし、「指示された通りにやっていればいい」と考える人は、
- 自分の仕事の意味を考えない
- 責任を上に押し付ける
- 失敗を恐れて何もしない
という状態に陥ります。
露伴の時代も、そして現代の行政や大企業でも、同じ構造が繰り返されています。
責任を取らない文化が、非効率を生み出す。
これは、100年前から変わらない人間社会の病理なのです。
「過程短縮」が文化を進化させる
露伴は前章「時間短縮が進歩をもたらす」で、こう述べました。
「過程を短縮することによって、個人も社会も飛躍的に進歩する。」
それは単に仕事を早く片付けるという意味ではなく、
無駄な手続きを減らすことが、人の創造性と幸福を高めるという考えです。
現代社会でも、テクノロジーやDX(デジタルトランスフォーメーション)が進むにつれ、
行政や企業の現場では「手続きの簡素化」や「ワンストップ化」が求められています。
まさに露伴が指摘した“過程短縮の精神”が、
今の社会改革の核心にあるのです。
「お役所仕事」は他人事ではない
ここで大切なのは、「お役所仕事」は行政だけの問題ではないということです。
私たちの日常にも、似たような非効率が潜んでいます。
- 会議をするための会議を開く
- 無意味な報告書を作る
- 古い習慣を「前からそうだから」と続ける
これらはすべて、“自分の中の小さなお役所仕事”です。
露伴の批判は、単に役人に向けたものではなく、
あらゆる立場の人に「改善せよ」と呼びかける警鐘でもあります。
現代における「過程短縮」の実践
露伴の考え方を現代に応用するなら、次のような習慣が「過程短縮」の実践です。
- 同じ作業を2回以上繰り返していないか見直す
- 「なぜこれをやるのか?」を一度立ち止まって考える
- 面倒な手続きを1つ改善してみる
- 新しいツールや仕組みを試してみる
小さな改善でも、それを積み重ねることで組織の文化は変わります。
それこそが、露伴の言う“人類の進歩”の原点なのです。
まとめ:過程を短縮するとは、「人を思いやること」
幸田露伴の「過程短縮を考えないのがお役所仕事」という言葉は、
単なる効率論ではなく、人間の思いやりに関する哲学です。
なぜなら、「過程を短縮する」とは、
他人の時間を尊重し、相手の立場に立って考えることだからです。
- 相手が待たなくていいように
- 顧客が迷わないように
- 部下が動きやすいように
そうした思考の積み重ねが、信頼を生み、組織や社会をより良くしていきます。
露伴のこの短い一節は、100年前の指摘でありながら、
現代の私たちにも深く突き刺さる——まさに**“時間と思考の倫理”**を説いた言葉なのです。
