「世界の利益を考えるのが最上級事業家」——幸田露伴が描いた“真のリーダー”の境地
「世界の利益を考えるのが最上級事業家」とは
幸田露伴の『努力論』は、単なる努力論を超えて、人間の生き方や社会的使命を深く問う書です。
その終盤にあたるこの一節「世界の利益を考えるのが最上級事業家」では、
露伴は事業家としての最終到達点を明確に示しています。
「高潔で節度ある人間が自分個人の利益のことを顧みず、
自分が属する組織や国家の利益のために尽力することは尊敬すべきことだ。
しかし、これをさらに一歩進めていえば、世界の利益のことを考えて努力する者が最上級の事業家ということになる。」
露伴の言葉は、単なる経営論ではなく、“人間としての生き方”そのものへの問いでもあります。
「国家の利益」を超え、「世界の利益」へ
露伴はまず、個人の利益を超えて国家や組織のために尽くす人を称賛しています。
しかし、彼が本当に尊敬を寄せるのは、
国家や組織という枠さえも超えて、世界全体の幸福を考え行動する人です。
「世界の利益と個人の利益を一致させ、自分の利益が世界の利益になり、
世界の利益が自分の利益になるというのだから、尊敬に値するのはいうまでもない。」
これは単なる理想論ではなく、露伴が見抜いた“究極の経営哲学”です。
個人の行動が世界とつながり、
**「自分の利益=他者の利益」**という関係を築けたとき、
その人は真に“最上級の事業家”になるのだと説いています。
「利他」と「利己」を一致させる境地
露伴の思想の根底には、「利他」と「利己」は対立しない、という考えがあります。
多くの人は「自分の幸せ」と「他人の幸せ」を分けて考えますが、
露伴はそこに誤解があると見抜いていました。
たとえば、
- 誰かの役に立つ製品をつくることで、自社の利益が生まれる
- 社員の幸福を追求することで、会社の生産性が高まる
- 社会全体の課題を解決することが、未来の市場をつくる
これらはまさに、露伴の言う「世界の利益と自分の利益の一致」の実例です。
つまり、利他の行動こそが、最も賢い利己であり、
この視点を持てる人が“上級”から“最上級”へと進化するのです。
「世界の利益を考える」ことは、最も現実的な戦略
一見すると、「世界の利益を考える」という露伴の言葉は理想主義的に聞こえます。
しかし、現代の経営や社会の流れを見ると、それが最も現実的な成功の道であることがわかります。
たとえば、
- 環境保全やSDGsへの取り組み
- フェアトレードや倫理的消費
- ダイバーシティ経営や社会的包摂
これらはいずれも、「世界の利益を考える」ことから生まれたビジネスモデルです。
短期的な利益よりも、持続可能な社会の構築を目指す企業が、結果として信頼と利益を得ている。
まさに露伴が100年前に予見した「最上級事業家」の姿が、いま現実のものとなっています。
「世界の利益」を考えるための3つの視点
露伴の思想を現代に応用するために、「世界の利益」を考えるための3つの実践的視点を挙げましょう。
① 「自分の行動が誰に影響するか」を意識する
自分の選択や事業が、誰を幸せにし、誰を苦しめるのか。
その影響範囲を広く想像することが、世界的な視点の第一歩です。
② 「長期的な結果」を見る
一時的な成功ではなく、10年・50年先に何を残せるかを考える。
露伴が説いた「時間の哲学」は、世界を見据えるための基盤です。
③ 「共存の視点」を持つ
他人を競争相手としてではなく、共に価値をつくる仲間として見る。
この共創の発想こそ、世界の利益を生み出す根源です。
「最上級事業家」とは、“人類のために働く人”
露伴が理想とした「最上級の事業家」は、単なる経営者ではありません。
それは、自らの能力と影響力を“人類の幸福”のために使う人のことです。
そのような人は、
- 自分の成功を世界への奉仕と捉える
- 損得ではなく、価値を基準に判断する
- 「働くこと=世界を良くすること」と信じている
露伴は、このような人物こそが“最上級”であり、
人間として最高の境地にあると述べているのです。
まとめ:世界を見て、世界と共に生きる
幸田露伴の「世界の利益を考えるのが最上級事業家」という言葉は、
現代に生きる私たち一人ひとりに通じる普遍的なメッセージです。
- 個人の利益を超え、社会や国家のために働く
- さらにその先にある「世界の利益」を志す
- 利他と利己を一致させることで、真の成功を得る
露伴が描いた「最上級の事業家」は、
国境も業種も超えて、“人類の未来”に奉仕する人でした。
私たちが今日できる小さな努力——
それが誰かの幸せにつながり、やがて世界の利益に変わる。
その瞬間、私たちもまた、露伴のいう「最上級の道」を歩み始めているのです。
