新しいか古いかは関係ない――幸田露伴『努力論』に学ぶ「本当に良いもの」の見分け方
新しい=良い? 古い=悪い?
現代社会では「新しいもの」がもてはやされる傾向があります。最新のスマートフォン、新しいビジネスモデル、トレンドのファッション。気づけば「古い」という言葉は「時代遅れ」「非効率」「ダサい」といったネガティブな印象と結びつけられがちです。
しかし、幸田露伴の『努力論』にあるこの言葉――
「新しさや古さは善悪とは関係ない。要するによいものだけがよいのであって、新しいとか古いとかいうことはまったく関係ない。」
――は、そんな風潮に一石を投じています。
露伴は、時代や流行に左右されず、「本当に良いもの」を見抜く目を持つことの大切さを説いています。
達人は「古いものを捨てる」とき、良い部分は残している
露伴は続けてこう述べます。
「名人や達人が古いものを捨て新しいものを選択するというのは、古いもののよくないところを捨て、新しいもののよいところを選ぶということなのだ。」
つまり、真の達人は「新しいから採用する」「古いから捨てる」といった単純な判断をしません。
大切なのは、“新旧のどちらにもある良し悪しを見極める目”です。
たとえば、仕事のやり方でも同じことが言えます。
昔ながらの手作業には「丁寧さ」や「人のぬくもり」があり、最新のデジタルツールには「効率」や「スピード」があります。
達人は、この両者の良さを融合させ、自分にとって最適な形に進化させるのです。
「新しいもの信仰」に潜む危うさ
私たちはつい、「新しい=正しい」と思い込んでしまうことがあります。
しかし、露伴が言うように「新しさは善悪とは関係ない」のです。
たとえば、健康ブームの中で登場する新しいダイエット法。次々と「最新の科学的根拠」を掲げて流行しますが、数年後には否定されることも珍しくありません。
逆に、古くから伝わる「よく噛む」「早寝早起き」といった生活習慣は、どれだけ時代が変わっても健康の基本として残り続けています。
つまり、「新しい」というだけで飛びつくのではなく、
「それが本当に良いものか?」を自分の目で確かめることが大切なのです。
「古いもの」にも生き続ける価値がある
露伴の言葉は、古いものを単なる「過去の遺物」として切り捨てる風潮への警鐘でもあります。
伝統的な技術、古典文学、職人の知恵――それらは長い時間をかけて磨かれ、生き残ってきた「良いもの」です。
それらの中には、現代の私たちが忘れかけている“人としての姿勢”や“心のあり方”が息づいています。
露伴自身も、明治という新しい時代に生きながら、古典的な価値観や日本人の美徳を重んじた作家でした。
「古いものを守る」ことは、「過去に縛られる」ことではなく、「良いものを未来に引き継ぐ」ことなのです。
「良いものだけが良い」──時代を超える判断基準
露伴のこの一節を現代風に言い換えるなら、
「新旧にこだわらず、本質的に良いものを選び取れ」というメッセージでしょう。
これはビジネスにも、学びにも、日常生活にも通じる普遍的な考え方です。
- 新しいアイデアを試すときも、流行に流されず「本当に価値があるか」を見極める。
- 古くからある知恵に出会ったときも、「今でも通用する本質があるか」を探る。
この姿勢こそが、「変わる時代の中でブレない軸」を作るのだと思います。
おわりに:露伴の教えは「選び取る力」を育てる
幸田露伴の『努力論』は、単なる根性論ではなく、“生き方の指南書”のような一冊です。
この章で語られているのは、「流行を追うことよりも、自分の眼を磨け」ということ。
新しいものを取り入れる勇気と、古いものを大切にする誠実さ。
その両方を持ち合わせることが、露伴の言う“達人”への道なのかもしれません。
