「楽な道ばかり選ぶと、人は弱くなる」──幸田露伴『努力論』に学ぶ“精神力を鍛える生き方”
安易な道を選ぶと、心が鈍る
幸田露伴は『努力論』の中で、現代にも通じる厳しい真理を述べています。
「胃に負担をかけずに食物を消化していると、胃の能力は日に日に落ちていく。手足をよく使わないでいると、手足の能力も日に日に落ちていく。」
この比喩が示すのは、使わない力は必ず衰えるということ。
それは身体だけでなく、心や精神にも当てはまります。
露伴は続けてこう警告します。
「世の中には、何事も安易で楽なやり方ばかりを好み、それによって精神力を日に日に衰えさせている人が実に多い。」
まさに現代社会への予言のような言葉です。
私たちは便利さや効率を追い求めるあまり、「困難に立ち向かう力」を失いつつあります。
「便利さ」が人間を弱くする?
露伴の時代にもすでに、文明の進歩と人間の退化を憂える声がありました。
今の私たちは、明治の時代とは比べものにならないほど便利な社会に生きています。
ワンタップで食事が届き、AIが代わりに考え、身体を使わずに仕事ができる。
確かにそれは効率的で快適ですが、露伴の目から見れば、人間力を失う危険な傾向でもあります。
なぜなら、楽な方法ばかり選ぶと、心も体も「努力する筋肉」を使わなくなるからです。
筋肉と同じように、精神力も使わなければ確実に衰える。
露伴は、この“精神の退化”を何よりも恐れたのです。
「努力」をやめた瞬間、成長は止まる
露伴の教えの根底には、努力の継続こそ人間を成長させるという信念があります。
簡単な方法に慣れすぎると、「我慢」「工夫」「忍耐」といった力が弱まり、
困難に出会ったときにすぐに心が折れてしまいます。
たとえば、
- すぐに答えを検索して、自分で考えない。
- 少し難しい課題に出会うと、「自分には向いていない」とあきらめる。
- 不快なことを避け、快適さばかりを追い求める。
こうした習慣が積み重なると、精神の「筋力」は確実に衰えていきます。
露伴が言う「精神力の低下」とは、まさにこの現象のことです。
困難を受け入れる勇気が、心を鍛える
露伴の考えを現代風に言い換えるなら、
**「苦しみを避けすぎると、人生の免疫がなくなる」**ということです。
たとえば、筋トレで筋肉を強くするには、適度な負荷が必要です。
同じように、精神もストレスや挑戦を通してしか鍛えられません。
だからこそ、露伴は「安易なやり方」から脱却することを勧めます。
それは、苦しみをわざわざ求めることではなく、
**「楽ではない道を選ぶ覚悟」**を持つこと。
- 少し難しい本を読む
- 手間がかかっても自分の手で作る
- 不安でも新しいことに挑戦する
このような小さな挑戦の積み重ねが、精神の力を育てていくのです。
「安易さ」は心の老化を招く
露伴は最後に、「人間の可能率が心身ともに低下していく傾向があるのは本当に心配だ」と述べています。
この「可能率」とは、人が持つ潜在的な力、つまり「伸びしろ」のことです。
便利さと安易さに慣れすぎると、人間は挑戦しなくなります。
挑戦しない人は、成長しない。
成長しない人は、次第に「できない理由」を探すようになります。
こうして、心は老化し、可能性は閉ざされていくのです。
露伴の言葉は、精神的な怠惰こそ最大の退化だと訴えています。
現代に生きる私たちへのメッセージ
露伴のこの章は、まさにAIや自動化が進む今の社会への警告でもあります。
便利さそのものは悪ではありません。
しかし、それに頼りきってしまうと、「考える力」「踏ん張る力」「創り出す力」が弱まっていく。
便利さを享受しつつ、あえて手間をかける時間を持つこと。
そのバランスが、これからの時代を生きる上での鍵になります。
露伴の言葉は、現代における「人間力の再生」を促しているのです。
おわりに:心に“負荷”をかける生き方を
幸田露伴の『努力論』は、努力そのものを称賛する本ではありません。
それは、努力を通して「生きる力」を磨くための哲学書です。
安易なやり方を続けると、確かに楽です。
しかし、その「楽」は未来の自分の力を奪います。
今日少しだけ不便なことをしてみる。
今日少しだけ苦しい道を選んでみる。
その小さな「負荷」が、明日の自分を強くし、心を豊かにしていくのです。
