「継続と信用こそ、事業の命」──幸田露伴『努力論』に学ぶ、永続する仕事の条件
一時的な成功では、真の事業とは言えない
幸田露伴の『努力論』には、明治の時代とは思えないほど現代的な「経営哲学」が込められています。
その中でも、第204節「事業で大切なのは継続性と信用だ」は、企業経営者・個人事業主・働くすべての人にとって普遍的な教えです。
露伴はこう断言します。
「事業というものは、一時的、突発的なものであってはならない。昨日よりも今日、今日よりも明日というように、連鎖が永遠に絶えず、過去、現在、未来と続いていくものだ。」
つまり、事業とは「継続」を前提に成り立つものであり、
一時的なブームや流行に乗って終わるようでは、本物とは言えないというのです。
露伴は、目先の成功を狙う短命な事業を「朝生えて夕方には枯れるキノコ」「はかない露」にたとえています。
そのたとえが示すのは、**“儲けることより、続けることのほうが難しい”**という現実です。
継続性とは、「信頼を積み重ねる力」
露伴の言う「継続」とは、単に事業を長く続けることではありません。
それは、信用を少しずつ積み重ねていく努力のことを意味します。
「信用がない事業は自滅するほかない。」
信用とは、目に見えないが最も価値のある資産です。
顧客・取引先・従業員から「この人(この会社)は信頼できる」と思われてはじめて、
事業は長期的に成り立ちます。
逆に言えば、信用を欠いた瞬間に、どんな大企業でも崩壊するのです。
露伴が活躍した明治期には、まだ企業倫理という概念が薄かった時代。
それにもかかわらず彼は、「信用を土台にした経営」こそが未来を支えると見抜いていたのです。
「信用より利益」を選ぶ事業は滅びる
露伴はこう警告します。
「一時的に利益を得るためであれば、信用はそれほど必要ではないだろう。」
「むしろ一時的な事業家というのは、信用を積まずに利益を上げようと急ぐものなのだ。」
この言葉は、現代の短期的なビジネスモデルにも鋭く通じます。
一瞬の利益を狙って不正を働いたり、誇大広告で顧客をだましたりする──。
そうした「信用を無視した利益追求」は、露伴の時代にも、そして今の時代にも繰り返されてきました。
しかし露伴は、そのような事業を「不正かつ不良なもの」と断じます。
短期的には利益を上げられても、信用を失えば必ず滅びる。
それが、露伴の見抜いた事業の因果律なのです。
継続できる事業は「正しい理念」を持っている
露伴の思想を現代的に読み解くと、
「継続性」と「信用」は、どちらも**“理念”を支えにしている**ことがわかります。
たとえば、
- 顧客に誠実であること
- 社員を大切にすること
- 社会に貢献すること
これらの理念が、単なるスローガンではなく、日々の行動として根づいている企業ほど長続きします。
逆に、理念を失った企業は、短期的な利益競争の中で自滅していく。
露伴が「継続と信用」を重視した背景には、
**“事業とは道徳の実践である”**という強い信念があったのです。
「信用」は時間でしか築けない
露伴の考えでは、「信用」は一朝一夕で得られるものではありません。
だからこそ、「時間」と「継続」の概念が不可分なのです。
信用を築くには、時間をかけて
- 約束を守り続ける
- 嘘をつかない
- 誠実に取引を重ねる
という積み重ねが必要です。
つまり、露伴が言う「継続性」とは、**“時間を味方につける経営”**のこと。
信用を軸に、長期的なビジョンを持って歩む人だけが、真の事業家となるのです。
「継続と信用」は、人生そのものにも通じる
露伴のこの章は、単なる経営論ではありません。
それは、人生をどう生きるかという指針でもあります。
一時の成功よりも、信頼される生き方を。
短期的な満足よりも、長期的な誠実を。
この考え方は、ビジネスだけでなく、
人間関係・学問・芸術──あらゆる分野に通じます。
露伴の哲学を一言でまとめるなら、こう言えるでしょう。
「信用とは、努力を続けた人間への“社会からの返礼”である。」
おわりに:長く続くものは、誠実である
幸田露伴の『努力論』は、「努力」や「成功」を一時の結果ではなく、
「続ける力」そのものとして捉えた書です。
「事業というものは、昨日よりも今日、今日よりも明日と続いていくものだ。」
この一節には、時代を超えたメッセージが込められています。
“長く続くもの”は、例外なく誠実である。
“信用される人”は、必ず努力を積み重ねている。
露伴の言葉は、ビジネスの世界だけでなく、
生き方そのものを問い直す力を今も持っています。
