トイザらス法が生んだシャッター街とアメリカからの構造改革要求の真実
多くの人が悩んでいるので今回はその解決策をということで、今回は「トイザらス法」として知られる大規模小売店舗法の廃止と、それに連なるアメリカからの構造改革要求が日本社会に与えた影響について解説します。
1990年代から2000年代にかけて、日本はアメリカからの年次改革要望書に沿って多くの制度改革を進めました。しかし、その結果として地方経済や日本企業のあり方に深刻な影響が出ているのです。
トイザらス法とは?──商店街を蝕んだ法改正
かつて日本には「大規模小売店舗法(大店法)」という法律があり、地域の商店街を守るために大型店舗の出店を制限していました。ところが、1990年代、アメリカのトイザらスが新潟への出店が大店法の規制で困難だったことから、アメリカ政府がこの法律の改正を強く求めます。
日本政府は1998年、アメリカの要望に応じて大店法を廃止し、新たに「大規模小売店舗立地法(通称:トイザらス法)」を制定しました。その結果、郊外に大型ショッピングセンターが次々と誕生し、人々の買い物行動も商店街から車で行く郊外型店舗へと移行。各地の商店街はシャッター街化し、地域経済が衰退する一因となりました。
建設業界にも波及した「開放要求」と公共投資の激減
1998年の大店法廃止と並行して、1988年には建設市場の開放もアメリカから要求されました。背景にあったのは、米建設大手ベクテル社が日本市場に参入できないことへの不満です。
アメリカの要求により、日本では独占禁止法が強化され、談合排除、指名競争入札の見直しが進められました。しかし、アメリカが期待したベクテル社は結局日本市場を攻略できず撤退。それでも日本国内では改革が続き、公共投資はピークの6割まで縮小。建設業者数も60万社から47万社に激減するなど、業界は疲弊しました。
米国型企業統治の導入と日本企業の変質
企業経営の分野でも、アメリカは日本に対して「米国型ガバナンス」の導入を求めました。1997年には独占禁止法が改正され、持ち株会社が解禁。これにより企業の「子会社化」によるコストカットが可能になり、従来の長期安定経営のスタイルが崩れていきます。
さらに、2007年には三角合併も解禁され、外資系企業が100%子会社を通じて日本企業を合併・買収できる仕組みが整備されました。これにより、日本企業が外資に飲み込まれるリスクが一気に高まりました。
株主重視の企業へ──短期主義へのシフト
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本企業の経営スタイルは大きく変貌します。
- 株式持ち合いの解消(1990年代後半)
- ストックオプション制度導入(1997年)
- 時価会計導入(2000年)
- 社外取締役制度(2002年)
- 四半期決算の義務化(2003年)
これらの制度改革は、すべて「株主利益の最大化」を目的としたもの。かつての日本企業が得意としていた長期的な技術開発や研究投資は後退し、短期的な利益追求へと舵を切るようになります。
なぜアメリカと日本の財界の利害は一致するのか?
結局のところ、アメリカの要求に応じて日本の制度や市場が開放され、その多くが日本の財界、特に大企業にとっても“都合のいい改革”となっていったのです。その背後にあるのが「株主資本主義」の論理です。
企業は顧客や従業員ではなく、株主の利益を最優先にする——この考え方が、アメリカから日本に輸入され、それにより地方経済や中小企業が切り捨てられる形になったのです。
まとめ
今回取り上げた「トイザらス法」をはじめとする数々の改革は、一見すると“自由化”や“効率化”を目的としたものに見えますが、その裏では地方経済の衰退や中小企業の淘汰といった深刻な副作用が起こっていました。
これらの改革の多くはアメリカの要望に基づいており、日本政府はその都度対応してきました。しかし、今一度「誰のための改革なのか?」を問い直す必要があるのではないでしょうか。
この情報が皆さんのお役に立てば幸いです。
