平等を求めすぎる社会は停滞する──アンドリュー・カーネギーが語る「格差」と「進歩」の本質
「平等=正義」とは限らない──カーネギーの視点
アンドリュー・カーネギーは『富の福音』の中で、
「富の分配と社会の進歩」について、非常に示唆に富む言葉を残しています。
「富が集中せず偏在しているほうが、誰もが平等に貧しいより、はるかにましである。」
一見、富の偏在を肯定するような発言に聞こえます。
しかし、カーネギーが言いたかったのは「不平等を正当化すること」ではありません。
むしろ、社会の発展にはある程度の不均衡が必要であるという、現実的な洞察でした。
格差がもたらす“文明の推進力”
カーネギーは、富が社会の中で「偏って存在する」ことによって、
文学・芸術・科学などの文化が育まれてきたと考えていました。
「人類の進歩にとって必要不可欠なものは、最高水準の文学や芸術と文明の洗練さをそなえた家庭だろう。」
富がなければ、芸術を支援するパトロン(=メセナ)は生まれません。
彼はその象徴として、古代ローマの政治家マエケナスを挙げています。
「富がなければ、マエケナスはでてこない。」
もし全員が等しく貧しい社会であれば、
文化も芸術も、そして新しい文明の芽も生まれない──
カーネギーはそう考えたのです。
「古き良き時代」への回帰は幻想
人々が「昔はよかった」と懐かしむとき、
カーネギーはその幻想をきっぱりと否定します。
「『古き良き時代』という表現があるが、古き時代が良いわけではない。主人も召使いも、現代よりも財政的に恵まれていたわけではないからだ。」
彼にとって「過去への回帰」は進歩を妨げる最大の敵でした。
文明が発展した今の時代こそ、すべての階層にとってより良い社会になっている。
「昔のほうが幸せだった」という感情は、
変化を恐れる人間の心理にすぎないと、カーネギーは見抜いていたのです。
「完全な平等」は、社会を停滞させる
カーネギーは、“完全な平等”を追い求めることに強い警鐘を鳴らしています。
「昔の状態に逆戻りするのは、富める者にとってだけでなく、貧しき者にとっても破壊的であり、破壊といっしょに文明を消し去ってしまうことになるだろう。」
平等主義が極端になれば、人々の努力意欲や創造性が失われ、
結果的に社会全体の停滞を招くと彼は考えていました。
つまり、不平等は不正ではなく、進歩のエネルギーでもある。
努力する人が報われ、成果を出す人が称賛される社会でこそ、
新しい技術や文化が生まれる。
その循環こそが、人類を前に進めてきた原動力だというのです。
「変化を受け入れる者」こそが未来をつくる
カーネギーは、社会の変化に抵抗するのではなく、
それを積極的に活かす姿勢を持つべきだと説きます。
「変化を受け入れて、そこから最高のものを引き出すのは、わたしたちにかかっている。変化は必然であり、それを批判するのは時間のムダである。」
変化は避けられない。
ならば、それを恐れるのではなく“利用する”ことが賢明です。
カーネギーの哲学は、まさに「適応力こそ生存の鍵」という現代のビジネス原理にも通じます。
現代への示唆:平等よりも「機会の公平」を
カーネギーの時代も、現代の私たちも「格差社会」という課題に直面しています。
しかし彼が提唱したのは、「結果の平等」ではなく「機会の公平」でした。
富の集中を悪とするのではなく、
その富を「社会の発展に還元する責任」を果たすことが重要だと考えたのです。
実際、彼自身も晩年には財産の大半を図書館や教育機関へ寄付し、
「富は社会に奉仕するために使うもの」という信念を体現しました。
「変化を恐れず、そこから最高のものを引き出す。」
それは、今の私たちに向けられた普遍的なメッセージでもあります。
まとめ:格差は「問題」ではなく「可能性」
アンドリュー・カーネギーのこの言葉は、
単に「格差を肯定する」ためのものではありません。
「富が集中せず偏在しているほうが、誰もが平等に貧しいより、はるかにましである。」
平等を追い求めるあまり、
社会全体が同じ低水準で停滞してしまうことを彼は危惧したのです。
人間社会に必要なのは、不平等の是正ではなく、変化を生かす知恵。
努力と創造によって上を目指せる“流動的な社会”こそ、真に健全なのです。
変化を恐れず、富を活かし、次の世代へと文化をつなぐ。
それが、カーネギーが示した「文明の進歩」の道でした。
