『お金の「単位」が生まれた日 ― 人類が価値を測るしくみ』
メソポタミアに欠けていた「単位」という発明
メソポタミアの粘土板は、確かに「債務と債権の記録」としてお金の機能を持っていた。
しかし、そこには一つの欠点があった。――「単位」がなかったのである。
当時の記録には「小麦100ブッシェル」「羊100頭」といった物量での記述しかなく、
価値を共通の基準で比較することができなかった。
小麦と羊、あるいは銀と酒。その交換比率を誰も正確に測ることができなかったのだ。
この「価値を量るための単位」を導入したのが、古代ギリシャに伝わったリディア王国だった。
世界初の通貨単位「エレクトラム」
紀元前7世紀、アナトリアのリディア王国では砂金をもとに金と銀の合金を鋳造し、
一定の重さをもつ硬貨を作り出した。これが「エレクトラム硬貨」である。
重量を計る手間を省くため、同じ価値をもつ単位として鋳造されたことが革新的だった。
この仕組みはヘレニズム世界に広がり、ギリシャの「ドラクマ」やペルシャの「ダレイコス」など、
統一された通貨単位が次々に誕生していった。
人類はここで初めて、「価値を数字で表す」ことに成功したのである。
通貨単位は「見ることのできない概念」
現代の日本円、ドル、ユーロ――どの通貨単位も、私たちは見たことがない。
一万円札に書かれた「10000円」は、あくまで金額の表示にすぎず、
私たちが手にしているのは「円という単位をもつ借用証書(日本銀行券)」である。
通貨単位は、メートルやキログラムと同じように「概念」であり、
目で見ることも触れることもできない。
ただし、メートルが物理的な基準に基づくのに対し、
円やドルの価値は市場と政策によって変動する。ここにお金の本質的な不安定さがある。
お金の価値は「購買力」で決まる
お金の単位は固定的ではない。
1万円の価値は、どれだけのモノやサービスを購入できるかによって決まる。
物価が上昇すれば同じ1万円で買える量は減り(インフレ)、
物価が下がれば購買力が高まる(デフレ)。
戦後日本では、かけそば1杯が20円から500円へと値上がりし、
日本円の価値は半世紀で25分の1になった。
お金の単位は普遍的なものではなく、社会と経済の変化に応じて常に揺らいでいる。
「単位」がもたらした経済の秩序
それでも通貨単位がなければ、経済は成立しない。
単位があるからこそ、モノやサービスの価格を比較し、取引を成立させることができる。
そして、債務と債権という「約束の記録」を明確にするためにも、
金額という尺度が必要になる。
「100ブッシェルの小麦」では価値を見積もれなくても、
「100万円」なら誰もが感覚的に理解できる。
通貨単位とは、人類が「信用と交換」を成り立たせるために生み出した、
文明の根幹をなす発明なのだ。
