『シニョリッジ――お金が生む“見えない利益”の正体』
硬貨と紙幣、その始まりの違い
日本銀行券や銀行預金、そして政府が発行する硬貨。これらは同じ「お金」でありながら、その起源はまったく異なる。お金の本質は「債務と債権の記録」だが、硬貨は古代リディア王国で誕生した「価値ある金属の円盤」から始まった。
人は目に見える金属に安心を覚え、やがて金貨や銀貨そのものに価値を見いだした。こうして、「お金はモノとして価値がある」という誤解が生まれたのである。
預かり証から紙幣へ
やがて、金貨や銀貨を保管する「銀行」が現れ、預けた金属の代わりに「預かり証」を発行した。これが紙幣の始まりだ。預かり証は金属と交換できる「債権」であり、やがて商取引の決済にも使われるようになる。
その後、中央銀行の誕生とともに紙幣は法的な通貨となり、金属の裏づけを失った「不換紙幣」へと進化した。紙幣は「誰かの債務」であり、「誰かの債権」であることに変わりはない。
硬貨だけがもつ“特権”
一方、政府が発行する硬貨には、紙幣にはない特徴がある。硬貨は政府の「負債」としてではなく、発行時点で政府の収益として計上されるのだ。つまり、硬貨を発行するだけで政府は利益を得る。この利益こそが「シニョリッジ(通貨発行益)」である。
中世ヨーロッパでは、封建領主が貨幣を鋳造する権利を持ち、鋳造コストとの差額を私的利益として得ていた。90円分の銀から100円の銀貨を作れば、差額の10円がそのまま領主の懐に入る。これがシニョリッジの起源だ。
歪んだ通貨の歴史
領主たちは次第にこの利益に依存し、貨幣の価値を意図的に下げて改鋳を繰り返した。その結果、通貨の信用は崩れ、価値が乱高下する時代が訪れる。
本来お金は「債務と債権の記録」にすぎないにもかかわらず、「鋳造すれば利益が生まれる」という構造が、お金の概念を大きく歪めてしまったのだ。
現代に残るシニョリッジ
現代の日本でも、政府は硬貨の発行でシニョリッジを得ている。例えば、五百円玉の製造コストは額面のわずか一割未満で、一本あたり約457円の発行益をもたらす。一方で、一円玉や十円玉はコストが額面を上回り、逆に赤字になる。
理論上、政府が利益だけを追えば、五百円玉ばかりを発行する誘惑が生じる。しかし、それは通貨の安定という本来の目的を損ねる行為でもある。
紙幣の本質と誤解
紙幣――すなわち日本銀行券――は、金属のような「素材価値」を持たない不換紙幣である。だが、その担保はしっかり存在する。日銀が保有する国債こそが紙幣の裏づけであり、金や銀といった貴金属よりも確実性が高い。
金属は価格が変動するが、国債は満期になれば必ず額面で返済される。つまり、一万円札の価値は、金属よりも安定しているといえる。
経済を支える“信頼”という土台
金や銀は、それ自体に価値があるわけではない。「誰もが価値があると思っているから価値がある」だけだ。紙幣も同じ構造で成り立っている。
結局のところ、通貨の力を支えているのは「信頼」と「制度」だ。民主主義国家において、お金の発行権が公正に機能するためには、市民が政府に責任を求め、健全な貨幣制度を維持し続けることが欠かせない。
