マラソン後の膝蓋下脂肪体(IFP)の変化をMRIで可視化|ランナーの膝を守る新たな視点
膝蓋下脂肪体(IFP)とは?
膝蓋下脂肪体(infrapatellar fat pad, IFP)は「ホッファ脂肪体」とも呼ばれ、膝蓋骨と脛骨の間に位置する柔らかい脂肪組織です。
この構造は、膝関節の衝撃吸収・摩擦軽減・関節液循環の補助といった機能を担い、膝のホームオスタシス(恒常性)維持に欠かせません。
IFPは単なる“脂肪の塊”ではなく、神経や血管が豊富に分布する感覚器官的組織でもあります。痛みや圧力変化を感知し、膝の固有感覚(プロプリオセプション)にも関与しています。
研究概要:マラソンはIFPにどんな影響を与えるのか?
本研究(Zhao et al., 2024)は、中国・蘭州大学付属病院の研究チームによるもので、14名のアマチュアマラソンランナー(男性12名・女性2名)を対象に行われました。
参加者はマラソンの1週間前と1週間後に3.0T MRIで膝を撮影し、膝蓋下脂肪体(IFP)の微細構造を定量的に評価しました。
使用された主なMRI技術は以下の2つです。
- MAGiCシーケンス:T1、T2値、プロトン密度(PD)を同時測定
- IDEAL-IQシーケンス:脂肪率(FF: Fat Fraction)とR2*(組織の磁気特性)を解析
これらのシーケンスにより、脂肪体の脂質量・水分量・構造変化を非侵襲的に可視化できました。
主な結果:マラソン後のIFPはどう変わった?
✅ 1. 脂肪率(FF)の上昇
マラソン後、IFPの脂肪率(FF)は有意に上昇(p < 0.05)。
これは、水分や血流の変化により脂質比率が相対的に増加した可能性を示します。
✅ 2. 体積の減少
IFPの総体積は平均で約13%減少(21,394 → 18,696 mm³, p < 0.05)。
MRI画像では、マラソン後のIFPがより扁平で圧縮された形態を示していました。
✅ 3. T1・T2値はわずかに低下傾向
炎症や浮腫を反映するT1・T2値は減少傾向を示しましたが、有意差はなし。
これは、炎症性変化よりも機械的圧縮による構造的適応が主である可能性を示唆します。
✅ 4. 体重・BMIとの負の相関
脂肪率の変化量(ΔFF)は、体重およびBMIと**負の相関(r = −0.64, −0.62)**を示しました。
つまり、体重が軽いランナーほどIFPの変化が大きい傾向があり、膝の負荷伝達様式が異なることが考えられます。
考察:マラソンで「脂肪体が締まる」理由
研究チームは、これらの変化を**「急性の流体シフト(fluid shift)」**による適応反応と解釈しています。
マラソン中は、膝関節の屈伸運動と荷重が繰り返され、IFPが圧縮と弛緩を高速で繰り返します。
この過程で:
- 関節内圧が変動し、IFP内部の水分や血液が周囲に移動
- 圧縮によりリンパ流や静脈還流が一時的に制限
- 結果的に体積が減少し、脂質比が相対的に増加
このような動的変化は、関節内での衝撃吸収と荷重分散を最適化する自然な適応反応と考えられます。
臨床的意義:IFPは「動的なクッション」
従来、IFPは“受動的なクッション”とみなされてきましたが、この研究により、IFPが運動ストレスに応じて形と組成を変える能動的組織であることが示唆されました。
理学療法の観点では:
- マラソン後の膝痛や炎症は、IFPの圧縮・浮腫の不均衡と関連する可能性
- 体重管理はIFPの適応能力を左右し、障害予防に重要
- リハビリでは膝蓋下脂肪体の動態と柔軟性の回復を意識する必要がある
特に膝蓋下脂肪体は前十字靭帯再建術や膝関節置換術後の疼痛発生にも関与しており、手術時の切除や瘢痕形成が可動性を低下させることが報告されています。
今後の展望
本研究は小規模(n=14)かつ短期的な観察であるため、長期的な変化や回復過程の解明には今後の追跡研究が必要です。
また、IFPの「脂質・水分バランス変化」が炎症や変形性膝関節症(OA)にどう関与するのかも重要なテーマです。
今後、定量的MRIは膝関節の微細な生体適応を可視化する有力なツールとして、ランナーや臨床家に新たな知見をもたらすでしょう。
まとめ
- マラソン後、膝蓋下脂肪体の脂肪率は上昇し、体積は減少する
- これは圧縮や流体移動による生理的適応反応と考えられる
- 体重が軽いランナーほど変化が大きい傾向がある
- IFPは単なる緩衝材ではなく、動的に変化する組織である
膝の健康を守る鍵は、筋・脂肪・関節液の「動的バランス」にある――。
本研究は、マラソンランナーの膝を理解する上で、新たな扉を開いたといえるでしょう。
