『お金の担保は「経済力」――ミダス王が教える真実』
お金の裏づけとは何か
個人が小切手を発行するとき、その担保は「所得」である。銀行なら「バランスシート」、中央銀行なら「国債」。
だが、これらはいずれも本質的な担保ではない。究極的に、お金の価値を支えているのは「国民経済の経済力」そのものだ。
経済力とは、国民が求めるモノやサービスを自らの生産力で満たす力。お金とは、その力を数値化した「記録」に過ぎない。
ミダス王が死んだ理由
触れるものをすべて黄金に変える――ミダス王の物語は、貨幣の本質を象徴している。
もし国が何も生み出せなくなれば、どれほどの金を手にしていても生き延びることはできない。
国の経済力が失われれば、黄金も紙幣も意味を失う。お金は「生産と供給」という実体の上に成り立つ信用なのだ。
インフレもデフレも「生産力」で決まる
お金を発行しすぎたからインフレになる――この一般的な理解は半分しか正しくない。
真の原因は、需要に対して供給が追いつかないこと。
フビライ・ハンの「中統元宝交鈔」も、発行量ではなく、生産不足こそが物価上昇を招いた。
逆に、ジョン・ロックの時代のイギリスは、銀貨の量にこだわりすぎてデフレを引き起こした。
お金の量ではなく、「モノとサービスを生み出す力」が経済を安定させる鍵である。
無限の生産力があれば、お金はいらない
もし人類が必要なモノやサービスを無限に生み出せるなら、お金は不要になる。
お金とは、有限な資源と生産能力の中で、人と人との交換を成立させるための仕組みだからだ。
結局のところ、優先すべきはお金ではなく、生産力であり、経済の健全な循環である。
荻原重秀――300年前の経済の天才
江戸時代の勘定奉行・荻原重秀は、この真理を見抜いていた。
金銀の産出が減り、経済が停滞する中で、彼はあえて金銀の含有量を減らした元禄金・元禄銀を発行。
「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」
――お金は物質ではなく、国家と国民の経済力に支えられた「信用」であると理解していた。
ジョン・ロックが金属主義の狂気に陥った同時代、重秀はすでに現代的な管理通貨の思想に到達していたのだ。
