『経済成長と負債――お金は借金で世界を動かす』
二つの貨幣観
人類の歴史を通じて、お金には二つの考え方が存在する。
一つは「債務と債権の記録」という本質的な貨幣観。もう一つは、「お金自体に価値がある」という金属主義的な貨幣観だ。
後者が支配すると、人々は「借金=悪」という誤解に囚われ、経済の歯車が止まり始める。だが、経済成長とは本来、誰かが負債を増やすことでしか達成できない営みである。
貯蓄は善か悪か
個人の家計では貯蓄は安全の象徴だが、経済全体で見ると話は逆になる。
誰かが貯蓄を増やせば、別の誰かの所得が減る。Bさんが1万円のうち5千円を貯めた瞬間、次のCさんの所得は半減し、社会全体のGDPは縮小する。
「全員が貯蓄を増やす社会」は、同時に「誰も豊かになれない社会」なのだ。
負債こそが経済を動かす
経済とは、支出が新たな所得を生む循環の連続である。
誰かが支出し、誰かが投資を行い、誰かが借金をして動く。その負債の拡大こそが経済成長の燃料となる。
日本銀行が公表する「資金過不足統計」でも、経済の構造が明確に示されている。
通常は企業が資金不足(=借入増)となり、家計が資金過剰(=預金増)となる。この関係があるからこそ経済は循環する。
デフレが奪った「負債の力」
ところが、1998年以降の日本では異常な現象が続いている。
企業が資金を借りず、むしろ貯め込むようになったのだ。
本来、設備投資に使われるべきお金が銀行口座に眠り、デフレが長期化した。
その穴を埋めたのが政府である。政府が赤字を拡大し、国債という形で資金を投入することで、国民の所得を支え続けた。
もし1998年当時、政府が支出を抑えていたなら、日本のGDPは10%以上落ち込み、深刻な貧困に陥っていたに違いない。
政府の借金は「国の破綻」ではない
政府の債務は国民経済の「負債=お金」である。
日本の国債はすべて円建てであり、日本銀行という“子会社”が引き受ければ、返済不能に陥ることはない。
実際、1872年にわずか2800万円だった政府債務は、2015年には1000兆円を超えた。それでも日本は一度も破綻していない。
同期間に経済は拡大し、国民の所得も増えた。債務の増大は、経済成長の裏返しにすぎない。
真の危機は「借金」ではなく「デフレ」
問題は財政赤字ではない。経済の縮小を招くデフレーションこそが、国民の豊かさを奪う元凶である。
政府が借金を恐れて支出を減らせば、需要は減り、企業は投資をやめ、人々の所得は下がる。
経済成長とは、政府や企業、そして個人が「未来の所得を信じて負債を増やす」ことから始まる。
お金とは借金であり、その借金が経済の血液なのだ。
