『国家の富とは何か――お金ではなく「生み出す力」こそが本当の豊かさ』
お金は「富」ではない
お金の本質は「債務と債権の記録」にすぎない。
誰かの金融資産は、必ず誰かの金融負債でもある。
つまり、国家全体で見れば、現金や預金といった金融資産は相殺され、ゼロになる。
だから、お金そのものは「国の富」ではない。
お金の価値を支えているのは、国民がモノやサービスを生産する力――すなわち経済力、供給能力なのだ。
真の富とは「生産の基盤」
農家が野菜を作り、運送業者がそれを運び、八百屋が販売する。
この一連の所得創出の裏には、土地、道路、トラック、店舗といった資産がある。
こうした資産がなければ、どんなに人が働いても付加価値は生まれない。
つまり、土地や道路、工場、港湾、機械など――「生産活動を支える資産」こそが国家の富=国富である。
金融資産ではなく「実体資産」
現金は印刷すればいくらでも増やせる。
だが、所得を生む工場や道路は、誰かが働き、投資しなければ生まれない。
お金が多い国が豊かなのではなく、「稼ぐ力を持つ国」こそが豊かな国である。
国民が貧しいのは、お金が足りないからではない。
所得を生み出す基盤――国富が不足しているからだ。
国富の三つの柱
内閣府は国富を次の三つに分類している。
1️⃣ 生産資産:工場や道路など、過去の投資によって蓄積された資産
2️⃣ 有形非生産資産:土地・資源・漁場など、自然がもたらす資産
3️⃣ 対外純資産:海外に貸し出した資産から生まれる所得
これらはすべて、モノやサービスを生産し、所得を生み出す“力の源泉”である。
経済の三要素――モノ・ヒト・技術
現代の生産を支えるのは、資本(モノ)、労働(ヒト)、そして技術だ。
どれか一つでも欠ければ、生産性は上がらない。
たとえば、運送サービスは道路(資本)、労働者(ヒト)、そして自動車技術(技術)の三位一体で成り立つ。
技術が進歩し、資本が整えば、生産性が上がり、国民の所得は増える。
これこそが経済成長の正体だ。
富を生むのは「働く人」
国富を支える最大の要素は、国民の労働である。
人は働くことで技術を学び、経験を積み、社会に付加価値をもたらす。
どれほど立派なインフラや資源があっても、働く人がいなければ国富は増えない。
働かない国に、豊かさは訪れないのだ。
金に溺れる国の末路
それでも今の日本では、「金さえあればいい」という価値観が蔓延している。
だが、国民が働かず、生産する力を失えば、どれだけ通貨を発行しても豊かにはなれない。
経済力――つまりモノやサービスを生み出す力を失えば、国は必ず発展途上国へと転落する。
結論
国家の富とは、お金の量ではない。
それは国民が働き、技術を磨き、資本を蓄え、モノやサービスを生み出す力――「生産能力」そのものだ。
経済とは、生み出す力の総和であり、国富とはその力を支える資産の集積である。
真の豊かさは、お金ではなく「働く力」からしか生まれない。
