「自己実現より“自己超越”──フランクル心理学が示す、ビジネスパーソンの成長を決める本当の条件」
自己実現より“自己超越”──フランクル心理学が示す、ビジネスパーソンの成長を決める本当の条件
ビジネス書やSNSでは、「自己実現」という言葉が頻繁に使われます。
- やりたい仕事を見つける
- 自分の才能を開花させる
- 自分らしい働き方を追求する
これらは一見、前向きで魅力的に聞こえます。
しかしフランクルは、明確にこう言います。
「自己実現を目的にしてはならない」
この言葉は、現代のビジネスパーソンにとってかなり重要なメッセージです。
■ マズローとフランクル──「自己実現」をめぐる思想の反転
自己実現といえば、心理学者マズローの欲求階層説が有名です。
「生理的欲求」から始まり、「自己実現」が最上位に位置づけられている図を見たことがある人も多いでしょう。
しかし、あまり知られていませんが──
マズローは晩年、フランクルと対話し、
“自己実現が最上位ではない” と気づいた
その結果、マズローは自身の理論を修正し、
より上位の概念として 「自己超越」 を導入します。
つまり、
- 初期マズロー:自己実現が最上位
- 後期マズロー:自己超越こそ人間の最高の生き方
と考えが進化したのです。
■ なぜフランクルは自己実現を嫌ったのか?
おじさんはこう説明します。
「自己実現を目的にすると、
他人を“自分の実現のための手段”として見てしまうからだ」
フランクルが恐れたのは、
人間の「手段化」 でした。
実際、フランクルはこう述べています。
「経済の中で人間は“労働力”として扱われ、
経済活動のための手段にされてしまった」
これは現代のビジネスにもそのまま当てはまります。
- 数字のために働く
- 評価のために振る舞う
- 上司のために時間を使う
- 周囲の期待のためにキャリアを選ぶ
こうなると、自分自身も他人も“手段化”されてしまう。
その結果、
- 心が疲れる
- 仕事が憂鬱になる
- 人間関係がぎくしゃくする
- 「誰のために働いているのか」わからなくなる
これがフランクルの言う
“自己実現の危うさ” です。
■ 自己実現は「目的」ではなく「副産物」にすぎない
フランクルの主張の本質はここにあります。
「自己実現は追い求めるものではなく、
“意味を生きた結果として”実現される副産物である」
つまり──
- 自分の使命に取り組む
- 誰かの役に立つ
- 人生からの問いに答えようとする
- 今の状況と向き合い、態度を選ぶ
こうした “自己超越的な生き方” をした結果として、
能力が開花したり、自分らしさが実現される。
だからフランクルは言います。
「自己実現を目的にすると、人間は見失われる」
■ では、「自己超越」とは何か?
おじさんの言葉を借りれば、
「自己超越とは、自分を超えた“人生からの問い”に答え続ける生き方だ」
フランクルの世界では、
- 仕事
- 他者
- 苦しみ
- 困難
- 出会い
- 愛
あらゆる出来事が “人生からの問い” です。
その問いにどう答えるかが、
その人の価値をつくる。
自己超越とは、
「自分のために生きる」から
「自分を超えた何かのために生きる」へと軸が移ること。
これをビジネスに置き換えるとこうなります。
■ ビジネスにおける「自己超越」の姿
◎ 自分の成果より、顧客の成功を優先する
→ 結果として成果もついてくる
◎ 評価ではなく価値提供を追求する
→ 信頼が積み上がり、評価が勝手に上がる
◎ 他者を手段として見ない
→ チームの関係が強くなり成果が伸びる
◎ 今の仕事を“人生からの問い”として引き受ける
→ 主体性が生まれ、キャリアの方向性が見えてくる
自己超越は、ビジネスパーソンの成長を一気に加速させるエンジンです。
■ 「人間の命」を手段にしない──フランクルが貫いた核心
この記事の前回のテーマにもつながりますが、
フランクルの思想の中心には常に
“裸の人間の命と尊厳を最優先にする”
という信念があります。
だからこそ彼は、
- 法律
- 組織
- 体制
- 評価
- 経済
- 自己実現
これらが人間を“手段化”する構造を強く批判した。
フランクルが守ろうとしたのは
人間そのもの だったのです。
■ 最後に──自己実現ではなく、自己超越へ
キャリアに迷い、
「自分の可能性を発揮したい」と焦るときこそ、
フランクルの言葉が役に立ちます。
- 自己実現を目的にするな
- 意味ある生き方の副産物として実現されるものだ
- 本当に目指すべきは“自己超越”である
あなたが今向き合っている出来事は、
すべて“人生からの問い”です。
その問いに誠実に答え続けるとき、
あなたという人間の可能性は自然と開いていきます。
それが、フランクルの言う
「自己超越的な生き方」
であり、
ビジネスパーソンが本当に成長するための道でもあります。
