政治・経済

『MMTは本当にデタラメなのか』

taka

古典派から現代へ──経済理論の流れ

経済をめぐる議論は、常に時代の変化とともに形を変えてきた。
18 世紀、アダム・スミスは市場に任せれば供給と需要が自動調整されると説き、これが古典派経済学の基礎となった。その後、19 世紀には数学を取り入れた新古典派が誕生し、個人や企業の行動を分析するミクロ経済が整えられていく。
20 世紀に入ると、ジョン・メイナード・ケインズが「市場は放置すると不安定になる」と指摘し、国家が大きな視点で調整する必要性を示した。これがマクロ経済学の出発点である。

MMTとは何か──誤解される背景

こうした理論の流れから派生したのが、MMT、現代貨幣理論である。MMTの主張は単純だ。
「政府と中央銀行は実質的にひとつの存在であり、政府支出の原資は税ではなく新たな通貨の発行である」
「自国通貨を発行できる政府は、原理的に財政破綻しない」
こう聞くと、「無限にお金を刷れるのか」「ハイパーインフレになる」と批判を浴びやすい。しかしMMTは無制限の通貨発行を肯定してはいない。制約は政府の赤字ではなく、国民の供給能力とインフレ率にあるとする。

通貨の本質──創造と消滅の仕組み

政府が通貨を生み出す仕組みを簡略化すれば、国債の発行と中央銀行によるベースマネーの創造が出発点となる。民間銀行はこれを担保として信用創造を行い、私たちが日常使うお金が供給される。
一方で、税金の役割は「財源の確保」というより「通貨の回収と消滅」である。政府が通貨を作るからこそ、それを消すこともできる。政府の財政が常に赤字であるのは、通貨が発行された時点で政府の負債となるためであり、むしろそれが経済を回す前提となっている。

財政破綻の誤解──何が問題で何が問題でないのか

自国通貨を発行できる以上、政府が支払い不能に陥ることは理論上存在しない。
だが、いきなり莫大な通貨を流し込めばインフレが暴走する。それはMMTが禁止する領域である。必要なのは常に「供給力」と「物価」のバランスであり、政府赤字の大きさそのものは制約ではない。逆に、必要以上の緊縮財政は生産能力を削ぎ、経済を縮小させてしまう。

MMTが叩かれる理由──理論と利害

MMTは多くの国で批判の対象になりがちだ。その背景には、過去の戦争財政や通貨乱発の苦い記憶がある。権力者が通貨を自由に扱うことへの警戒心が、中央銀行独立という枠組みを強固にしている。
また、国債が巨大な国際金融ビジネスとして確立している欧米では、MMTが広まることで既存の構造が揺らぐ可能性もある。理論への批判というより、利害の防御に近い側面があるといえる。

日本はすでにMMT的構造の上にある

日本では国債の大半を国内が保有し、日本銀行も継続的に買い入れを行う。実際には政府と日銀が連動して動いており、MMTが提示する統合政府に近い姿がすでに存在している。
それでもなおMMTが危険視されるのは、欧米型の理論を前提とした学者や言論が影響力を持ち、国民に「赤字は悪」「積極財政は破綻を招く」と刷り込んできたためである。

基礎理論を拒む危うさ

MMTは政策メニューではない。通貨発行の根本構造を示す基礎理論である。基礎を否定すれば、現実の議論は歪む。
日本が再び成長の道を歩むためには、この基礎を正しく理解し、供給力を高めるための積極財政に向き合う必要がある。今こそ、通貨と財政の本質を見直すときである。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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