なぜ「生かされている」と感じるのか?自分で決める力が人生を変える
毎日、職場と家の往復。「やるべきこと」に追われ、ふと「自分の人生、これでいいのかな?」と虚しくなることはありませんか?
まるで誰かが書いた台本通りに演じているような、「生かされている感覚」。
実は、世界的な名著『7つの習慣』の著者、スティーブン・R・コヴィーは、**「自由は、努力して広げなければ、勝手に縮んでいく」**という恐ろしい事実を指摘しています。
私は理学療法士として働いていますが、これは人間の身体と全く同じ原理です。関節も筋肉も、毎日動かしていなければ、あっという間に固まって動かなくなります(これを廃用症候群と言います)。
あなたの「自由」も、使わないうちにサビついているかもしれません。
この記事では、他人の脚本(親や社会の期待)から抜け出し、本当の意味で自分の人生を生きるための「自由のリハビリ方法」について解説します。
結論を言えば、**「今日のランチを自分で決める」**といった小さな一歩が、あなたの人生を取り戻す大きな革命になるのです。
自由は「放置」すると消滅する
コヴィー博士の警告を見てみましょう。
自分の自由の芽を日々伸ばす努力を続けていると、少しずつ自由が広がっていく。逆にそうしないと、自由の範囲がだんだんと狭まっていき(中略)「生かされている」だけの人生になる。
私たちは「自由」を、空気のように最初からそこにあるものだと思いがちです。 しかし実際は、「植物」や「筋肉」に近いものです。
水をやり、使い続けなければ、自由の芽は枯れ、範囲はどんどん狭まっていきます。 「面倒くさいから」と選択を他人に委ねているうちに、いつの間にか「選べない状況」に追い込まれてしまうのです。
あなたは「誰かの脚本」を生きていませんか?
自由を行使しないということは、空席になったあなたの人生の運転席に、他人が座ることを許可するということです。
親や同僚、社会に押しつけられた脚本に従って生きることになるのだ。
- 親の脚本: 「いい大学に入って公務員になるのが幸せだ」
- 上司の脚本: 「滅私奉公して働くのが部下の鑑だ」
- 社会の脚本: 「この年齢なら結婚して家を買うのが普通だ」
これらに無批判に従うことは、楽なことかもしれません。自分で考えなくていいからです。 しかし、それは**「自分の人生」ではなく、「誰かの人生の脇役」として生きること**を意味します。 最期に「いい人生だった」と思えるのは、脚本を書いた他人であって、あなたではありません。
今日からできる「自由の筋トレ」
失われかけた自由を取り戻すには、リハビリが必要です。 いきなり会社を辞めるような大きな決断をする必要はありません。
小さな「自己決定」を積み重ねる
理学療法のリハビリが「指先を動かすこと」から始まるように、心の自由も小さな選択から始まります。
- ランチのメニューを「なんとなく」ではなく「意志」で選ぶ。 「みんなと同じでいいや」ではなく、「私は今、これが食べたいから食べる」と意識する。
- 頼まれごとを、一度持ち帰る。 即座にイエスと言う前に、「これは本当に自分がやるべきことか?」と考える時間を作る。
- 自分の感情を言語化する。 「ムカつく」ではなく「私は悲しかったんだ」と、自分の言葉で定義する。
こうした小さな「自分で決める」行動の積み重ねが、やがて大きな「人生の選択」をする際の強靭な筋肉となります。
まとめ・アクションプラン
今回の記事の要点をまとめます。
- 自由は放置すると勝手に狭まっていく。維持・拡大するには日々の努力が必要。
- 自分で選択しない人は、親や社会が書いた「脚本」通りに生きる操り人形になってしまう。
- 「生かされている」感覚から脱出するには、日常の小さな選択を主体的に行う「自由の筋トレ」が有効。
Next Action:脱・操り人形宣言
今日のアクションプランは、「誰かに言われたからやる」行動を一つやめてみる、あるいは**「言われる前に自分で決めてやる」**ことです。
- 誰かに言われる前に、自分から挨拶をする。
- 「飲み会に行かなきゃ」ではなく「行かない」と自分で決めて断る。
たった一度の人生、脚本家はあなた自身であるべきです。 自分の手で人生の物語を書き直したいと願うなら、**『7つの習慣』**を開いてみてください。そこには、他人の脚本を破り捨て、真の自由を手に入れるための具体的な方法が記されています。
