政治・経済

『100億円と1兆円の格差──予算に潜む「グロテスク」な真実』

taka

予算委員会で見えた「数字のトリック」

政治の場において、数字は嘘をつかないといわれる。しかし、その数字の並べ方には、政権の意思が色濃く反映されるものである。

先日の予算委員会、令和新選組の大石議員による質疑が、ある「グロテスク」な事実を浮き彫りにした。議論の焦点となったのは、国民負担と防衛費のバランスである。

現在、政府は高齢者の介護保険料における自己負担の引き上げを検討している。具体的には、年収230万円以上の高齢者を「比較的裕福」と定義し、自己負担を1割から2割へと倍増させるというものだ。これにより国が得られる削減効果は、およそ40億円から110億円程度とされている。

一見、財政健全化のための痛み分けのように聞こえるかもしれない。しかし、この数字を別の予算と並べたとき、景色は一変する。防衛関連の補正予算は1.1兆円。さらに、対米投資や貢献に関わる予算は、桁がさらに跳ね上がる。

高齢者から絞り出す100億円と、防衛費の1兆円。この100倍もの開きがある予算配分を前にして、私たちは「国の財布」がどこを向いているのかを、冷静に問わねばならない。わずかな節約のために生活者を追い詰めながら、一方で巨額の予算が軽々と計上される。この歪な構造こそが、質疑で指摘された「グロテスク」の正体といえるだろう。

「責任ある積極財政」への疑問

政権は「積極財政」や「物価高対策」を掲げている。子供のいる世帯への支援や、電気代・ガス代の補助など、耳触りの良い政策も並ぶ。しかし、その恩恵は本当に国民全体に行き渡っているのだろうか。

例えば、独身世帯や若年層、そして単身の高齢者にとって、今の対策はあまりに実感が薄い。電気代が数百円下がったところで、生活の厳しさが根本的に変わるわけではない。そればかりか、高校生の扶養控除縮小や、新たな支援金制度による社会保険料の上乗せなど、実質的な「ステルス増税」とも呼べる負担増が忍び寄っている。

「指示していない」「議論の最中だ」という答弁が繰り返されるが、既定路線として増税が進められようとしている事実は否めない。支持率が高い時期を見計らって負担増を決定し、実施は先送りする。そのような政治手法に対し、果たして「責任ある積極財政」という言葉を使ってよいものだろうか。

年収230万円で暮らす高齢者の負担が月数万円増えれば、それは生活の破綻を意味する。そのしわ寄せは、当然ながら現役世代の家族にも及ぶことになる。世代間の対立を煽るのではなく、この構造的な欠陥に目を向けるべき時が来ているのである。

真に求められる「生活の底上げ」

批判をするだけでは、現実は変わらない。令和新選組はこの質疑の中で、独自の予算組み替え案を提示している。政府の補正予算案に対し、より大規模な43兆円の国債発行を求める提案である。

この提案の本質は、出し惜しみをやめ、国民生活を底から支えることにある。消費税の廃止や、全世代に対する直接的な給付、そして介護現場の処遇改善など、停滞する経済を動かすための大胆な投資が必要だという主張である。

現状の補正予算は、規模が小さすぎるうえに、使途が偏っているといわざるを得ない。海外への投資や防衛費には糸目をつけず、国内の疲弊した生活者には「財源がない」と負担を強いる。100億円を惜しんで国民を苦しめる一方で、海外には兆単位の拠出を行う。この矛盾を解消しない限り、日本経済の本格的な再生は望めないだろう。

国会という場所が、単なる数字の調整の場であってはならない。そこには、日々の生活に苦しむ人々の息遣いが反映されるべきである。「あまりに多すぎる」と笑われるくらいの予算を積んでこそ、初めて国民の生活は守られるのではないだろうか。

私たちが直面しているのは、単なる政策の違いではない。国が誰のためにあるのかという、根本的な価値観の問い直しなのである。

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TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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