古代ローマの哲学者セネカは『倫理書簡集』の中で、善き人間のあり方についてこう語っています。
「善良な人々は、自分が正しいと思うことをし、そのためなら苦労もいとわない。たとえ怪我や危険があろうとも、正しいことならやり遂げるのだ。」
善い行いは決して楽な道ではありません。簡単にできるものなら、誰だってそうしているはずです。しかし、実際には多くの人が誘惑に負け、安易な道を選んでしまいます。
善い行いはなぜ難しいのか
- 悪は魅力的だから
富、快楽、権力――それらは一時的な魅力で人を引きつけます。だからこそ抵抗するのは難しいのです。 - 善は苦労を伴うから
正しいことを貫くには、犠牲や忍耐が必要になります。短期的には不利に見えることも少なくありません。 - 周囲からの圧力があるから
善い行動はときに孤立を招きます。「なぜそこまで?」と疑問や批判にさらされることもあります。
「務め」はあなただけに割り当てられている
セネカは、務めが困難であることを前提としています。もし誰にでも容易にできることなら、その務めはすでに他の人に任されているでしょう。
👉 しかし、困難だからこそ、それは あなたに割り当てられた務め なのです。
誘惑に勝つための心構え
- 自分の基準を明確にする
「正しいこと」と「卑しいこと」の線引きを自分の中で定義する。 - 短期的な利益より長期的な価値を選ぶ
一時の快楽に流されず、将来の誇りを優先する。 - 困難を歓迎する態度を持つ
険しい道は、あなたが強さを発揮できる場にほかならない。
まとめ
善い行いが簡単なら、誰も苦労しません。誘惑が魅力的で、務めが険しいからこそ、それを乗り越える価値があるのです。
セネカの言葉が示すのは、「誰も簡単だとは言っていない。しかし、それでも正しいことをするのがあなたの務めだ」という真実です。
今日もあなたに与えられた務めは、もしかすると楽ではないかもしれません。けれど、その険しい道を歩むからこそ、あなたは他の誰でもない「あなた自身」になるのです。