「国が滅びても給料は減らない」政治家の腐った本音
永田町から「志」が消えた理由
国民のために働く。そんな政治の基本が、今の永田町と霞が関では完全に崩壊しているといえる。かつては彼らの中にも「国を良くしたい」「地域に貢献したい」という純粋な志があったのかもしれない。だが、一度その組織に入り込めば、優先順位は劇的に書き換えられる。政治家にとっては「次の選挙に勝つこと」、官僚にとっては「事務次官まで出世すること」。それらが自己目的化し、国益よりも先輩や派閥への忖度が優先される。その姿は、上司の顔色ばかりを窺う腐敗した大企業のサラリーマンと何ら変わりない。
痛みを感じない「安全地帯」の住人たち
しかし、民間企業と決定的に異なる点が一つある。それは「結果責任」の有無だ。民間であれば、経営に失敗し業績が悪化すれば、給料は下がり、最悪の場合はリストラや倒産が待っている。対して国家公務員や政治家はどうか。日本のGDPがどれほど落ち込もうが、失われた30年で国民が貧困に喘ごうが、彼らの給与や身分が脅かされることはない。国が衰退しても何の痛みも感じない「安全地帯」に身を置く彼らに、我がこととして国家運営を憂う切迫感など生まれるはずがないのである。
印税を拒否した作家の「正義」
「今の時代、きれいごとだけで生きていけるほど甘くない」。そう嘯く政治家に聞かせたい話がある。作家の大村大次郎氏のエピソードだ。彼はある告発本を出版した際、「印税はいらない。その分のお金で新聞広告を出し、一人でも多くの人にこの事実を伝えてほしい」と出版社に申し入れたという。増刷が決まってもなお、彼は利益を受け取らず、すべてを広告費に回させた。自分の懐を肥やすことよりも、社会に真実を広めるという「公の利益」を優先したのだ。これこそが本物の志であり、矜持である。
日本にはまだ、本物が残っている
日本から志が消え失せたわけではない。世の中を見渡せば、医師や教師、中小企業の経営者など、利己心を捨てて他者のために汗を流す人々は山ほどいる。ただ、永田町という特殊な空間だけが、欲望と保身の掃き溜めになっているに過ぎない。私欲を捨て、大村氏のように「公」のために身を切る覚悟を持った人間が政治の場に戻らない限り、この国の再生はあり得ないだろう。
