政治・経済

「選挙に強い」が「政治に無能」な理由。2世・タレント議員の正体

taka

「選ばれた人=優れた人」という危険な幻想

私たちが選挙で一票を投じる時、無意識のうちに「候補者として選ばれているのだから、優れた見識を持った人物であるはずだ」という性善説を信じていないだろうか。しかし、現代の選挙システムにおいて、その前提はもはや崩壊しているといえる。なぜなら、候補者を公認する政党側が、もはや「政治家としての能力」を選定基準にしていないからだ。彼らが求めているのは、国を良くする知恵やビジョンを持つ人物ではなく、単に「選挙というゲームに勝てる駒」でしかないのが実情である。

世襲とタレントばかりが並ぶポスターの裏側

その結果、何が起きているか。選挙ポスターを見渡せば、親から強固な地盤を引き継いだ世襲議員や、テレビでの露出が減った元タレントばかりが並ぶことになる。彼らが重用される理由は明白だ。知名度があり、固定ファンや組織票が見込めるからである。言い換えれば、「政治家としてしか食べていけない人」や「過去の知名度を換金したい人」が、安易に候補者として担ぎ上げられているのだ。そこには、国民のために汗を流すという志よりも、議員バッジという既得権益への執着、あるいは就職活動としての立候補が見え隠れする。

「人気取り」と「実務」は別スキルである

ここで冷静に区別すべきは、「選挙に受かる能力」と「政策を立案する能力」は、全く別種の才能であるという事実だ。街頭で笑顔を振りまき、知名度で票を集めるスキルと、複雑な社会課題を分析し、解決策としての法律や予算を設計する実務スキルには、何の相関関係もない。今の日本は、いわば「愛想の良さ」だけで外科医を選んでいるようなものであり、これでは手術、すなわち国家運営が失敗するのは当然の帰結といえる。2世やタレント議員の多くは、選挙に勝つ能力には長けているかもしれないが、政策判断という政治家の本分においては未知数、あるいは素人同然であることが多い。

メッキを剥がすのは有権者の仕事

政党が「当選至上主義」に走り、候補者選びという本来の職務を放棄している以上、そのツケを払わされるのは国民である。知名度や親の七光りといった「選挙用のメッキ」に惑わされず、その人物が本当に「国民のための政策」を作れる能力を持っているのか。有権者がその資質を見極める厳しい眼力を養わない限り、政治の劣化が止まることはないだろう。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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