自己啓発

「知らないのだから許す」――マルクス・アウレリウスとイエスに学ぶ広い心の持ち方

人は「知らない」から過ちを犯す

マルクス・アウレリウスは『自省録』の中でこう述べています。

「プラトンが言ったように、われわれの魂はその意志に反して真理を奪われている。正義や自制、他者への善意といった美徳についても同じこと。これを常に心に留めておくことが肝心であり、そうすれば誰に対しても広い心で接することができる」

つまり、人は悪意からではなく「無知」から過ちを犯すことが多いというのです。この視点に立てば、他人の振る舞いに苛立ったり怒りを覚えたりしたときにも、寛容さをもって受け止めやすくなります。

イエスの示した「許し」の姿勢

キリスト教徒でなくても、多くの人が心を打たれるイエスの言葉があります。ゴルゴタの丘で十字架刑に処される直前、彼はこう祈りました。

「父よ、彼らを許したまえ。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」

殴られ、罵られ、想像を絶する苦しみの中でさえ、イエスは人々の無知を理解し、彼らを責めるのではなく「許す」ことを選びました。これは背筋が凍るほどの覚悟であり、人間の理想的な姿勢の一つといえるでしょう。

プラトンからマルクス・アウレリウスへ、そして現代へ

プラトンは「人は真理を知らないがゆえに誤った行為をする」と語り、その数世紀後にマルクス・アウレリウスも同じ真理を説きました。さらに、イエスや初期キリスト教徒たちも迫害の中で「彼らは知らないからだ」として相手を許したのです。

これらの思想家や宗教家が共通して伝えているのは、**「無知を責めず、許すことの大切さ」**です。人間は誰しも不完全であり、真理を完全に理解している人はいません。だからこそ、互いに寛容であることが求められるのです。

現代に活かす「許す心」

この哲学を現代の生活にどう生かせるでしょうか。いくつか実践的なヒントを挙げます。

  1. 相手の背景を考える
    誰かが不快な言動をしたとき、それは無知や経験不足から生じたものかもしれません。怒る前に背景を想像する余裕を持ちましょう。
  2. 「自分も知らなかった頃がある」と思い出す
    今の自分が理解していることも、かつては知らなかった事実です。過去の自分を思い出せば、他人にも優しくなれます。
  3. 許すことを自己成長の一環とする
    許すのは相手のためではなく、自分の魂を成長させるための行為だと考えると、心が軽くなります。
  4. 境界線を引きつつ許す
    許すことは相手を甘やかすことではありません。必要なら距離をとりつつも、怒りや恨みを手放すことが重要です。

まとめ

人は「知らないがゆえに」過ちを犯す。プラトン、マルクス・アウレリウス、そしてイエスの言葉は、時代や文化を超えて同じ真理を伝えています。それは、**「人を許すことで、自分の魂をより広く豊かにできる」**ということです。

今日からできる小さな実践は次のようなものです。

  • 誰かの失敗を「知らなかったのだ」と考えてみる
  • 相手を責める代わりに、自分の態度を整える
  • 許すことを、自分の魂の成長につなげる

この姿勢を持ち続ければ、あなたは人間関係の中でより自由になり、同時に自分自身も成長していけるでしょう。

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taka
理学療法士TAKAが自分の臨床成果を少しでも高めるために、リハビリ・運動学・生理学・物理療法について学んだ内容を発信。合わせて趣味の読書や自己啓発等の内容の学びも自己満で発信するためのブログです。