私たちは日常の中で、名誉や称賛に浮かれたり、屈辱や失敗に落ち込んだりしがちです。昇進や評価、あるいは人からのちょっとした言葉によって、気持ちが大きく揺さぶられることは少なくありません。しかし、古代ローマの哲学者マルクス・アウレリウスは『自省録』の中でこう記しています。
「おごらずに受け取り、潔く手放せ」
つまり、名誉も屈辱も同じように受け取り、執着しない心を持つことが大切だというのです。
小カトーのエピソードに学ぶ
この教えを象徴する出来事があります。ローマ共和制が崩壊に向かう時代、カエサルとの内戦に挑んでいたポンペイウスは、小カトーに艦隊の指揮権を委ねました。これは大きな名誉であり、強い権限を伴う地位でした。
ところが、周囲の反発によって数日後にはその決定が覆され、小カトーは指揮権をはく奪されてしまいます。通常ならば、これは耐えがたい屈辱であり、人前での立場を大きく傷つけられる出来事です。
しかし記録によれば、小カトーは何の反応も示しませんでした。名誉を与えられても驕らず、屈辱を受けても動じない。彼の関心は自分の地位ではなく、大義と仲間たちに向けられていたのです。実際、その後も彼は兵士に語りかけ、士気を高めようと力を尽くしました。
名誉や屈辱は一時のもの
私たちが現代で経験する昇進や降格、賞賛や批判も、この「名誉と屈辱」と同じです。人事異動で期待を裏切られたり、SNSで批判されたりすることもあるでしょう。しかし、それは本質的に「一時の現象」にすぎません。
マルクス・アウレリウスの教えに従えば、名誉に執着すれば傲慢になり、屈辱に執着すれば卑屈になります。どちらも心の自由を奪うものです。大事なのは、それらを自分の価値と結びつけないこと。自分の価値は、他人の評価ではなく「正しく行動すること」によって形作られるのです。
現代に応用する心の持ち方
では、この考えを私たちの日常にどう生かせるでしょうか。
- 評価を「自分の価値」と切り離す
昇進や賞賛は一時的なもの。逆に批判や失敗も同じく一時的です。それを「自分という人間そのもの」と混同しないことが大切です。 - 大義や目的にフォーカスする
小カトーが「大義」を優先したように、自分の軸を「他者の評価」ではなく「自分の信じる目的」に置くこと。たとえば「仕事を通して人を助けたい」「家族を支えたい」といった軸です。 - 結果よりも行為を重んじる
結果は必ずしもコントロールできません。しかし「どう振る舞うか」は自分で選べます。正しいと思う行為を続けることが、長期的に信頼を築きます。
名誉も屈辱も「ただの出来事」
セネカやマルクス・アウレリウスといったストア派の哲学者たちが共通して説いたのは、「外部の出来事はコントロールできない」という事実です。名誉も屈辱も、天候のように変わるものであり、私たちが握れるのは自分の反応だけです。
小カトーのように淡々と受け入れ、やるべきことに集中する。その姿勢こそ、精神的な強さであり、現代社会でも揺るがない心を持つヒントになるのではないでしょうか。
明日の生活で、称賛されることもあれば批判されることもあるかもしれません。そのとき「これは私の価値とは関係ない」と心に留めてみてください。名誉も屈辱もただの通過点。大切なのは、自分の信じる軸に沿って正しく振る舞うことなのです。