経済の本当の主役とは?自己責任論の罠に迫る
経済の主役は私たちである
これまで経済の仕組みについて考えてきたが、最後に最も大切なことを確認しておきたい。経済の主役とは、一体誰であろうか。政治家や役人、あるいは大企業の経営者や投資家だろうか。
すべて違う。経済の主役は、日々ふつうに働き、ふつうに暮らしている、私たち国民一人ひとりである。
私たちが働き、モノやサービスを生み出し、誰かがそれを消費する。給料を得て生活費にあて、時には家族と旅行を楽しむ。結婚して子どもを育て、やがて人生を全うする。この何気ない日常の営みすべてが、経済そのものといえるのだ。
経済政策のたった一つの基準
だからこそ、経済政策の良し悪しを判断する基準は、極めてシンプルである。それは、「国民の暮らしを豊かにするか、貧しくするか」。たったそれだけである。
「国の借金が減った」「大企業の利益が増えた」といった声を聞くことがあるが、これらは本質的な評価基準ではない。
本当に大切なのは、国民がモノを買える力、つまり実質的な購買力が上がったかどうかである。安心して子どもを産み育てられる社会か。高齢者が穏やかに暮らせる社会か。それこそが、本来の経済政策が目指すべきゴールである。
「自己責任」では片付かない現実
ところで、近年「自己責任」という言葉を頻繁に耳にする。貧困や失業、年金不足までも「個人の努力が足りないからだ」とする風潮である。
もちろん、個人の努力は尊い。スキルを磨き、将来に備えることは重要だ。しかし、社会のあらゆる問題を自己責任で片付けてしまうのは、経済の本質を根本から見誤っている。
例えば、不況による工場の閉鎖で突然職を失うことや、社会全体の実質賃金低下によって子どもを諦める夫婦がいることは、個人の努力不足だろうか。それは明らかに、マクロな経済状況という社会構造がもたらした圧力である。
経世済民を取り戻すために
経済というものは、個人の努力や根性だけでどうにかなるものではない。私たちは国全体の仕組みの中で生きており、政府の舵取りが、私たちすべての生活を大きく左右しているのである。
「自己責任」という便利な言葉で、政府の責任を覆い隠してしまうのは極めて危険だ。経済の語源は「経世済民」、すなわち「世を治め、民を救うこと」にある。
政府にこの本来の役割を放棄させないためにも、そして私たち自身の暮らしを守るためにも、国民一人ひとりが経済の真実を学び続けることが、今こそ求められているのである。
