「哲学なんて学んでも役に立たない」と思っていませんか?古代ローマの哲学者セネカは『倫理書簡集』でこう述べています。
「哲学はお座敷芸ではなく、ひけらかすものでもない。哲学の関心は言葉ではなく事実にある」
つまり、哲学とは退屈しのぎの議論でも、知識を誇るための学問でもありません。魂を鍛え、人生に方向を与え、日々の行動を導くためにこそ存在するのです。
議論のための議論は無意味
大カトー(小カトーの曾祖父)にまつわる逸話があります。彼はギリシャの懐疑学派の哲学者カルネアデスの演説を聞きました。カルネアデスはある日「正義の重要性」を熱弁し、翌日には「正義はただの便法にすぎない」と正反対のことを語ったのです。
これを聞いた大カトーは激怒しました。正義のような尊いテーマを討論の材料にして、ただ言葉遊びのように両面を論じる――そんな態度はローマの若者を堕落させると考え、カルネアデスをアテネに送り返したのです。
ストア派にとって、矛盾した立場を入れ替わり立ち替わり論じるのは「時間と信念の浪費」にほかなりませんでした。セネカもまた、哲学とは「余興ではなく、実生活に使うためのものだ」と強調しています。
哲学は人生の舵取り役
セネカによれば、哲学は次のような役割を担います。
- 魂を形成し鍛える
- 人生の指針を示す
- 行動を導き、すべきこととすべきでないことを明確にする
- 恐れや不安に振り回されない力を与える
私たちは日常で絶えず決断を迫られます。どんな小さな場面でも「どうすべきか?」という問いが生じます。そのとき、哲学は人生の舵の前に座り、進むべき方向を示してくれるのです。
現代人にとっての哲学
現代でも、哲学を「役立たない知識」と見なす人は少なくありません。しかし実際には、哲学は人生のあらゆる場面で使える実践的な知恵です。
- 職場での判断 → 公平さや誠実さを保つ指針になる
- 人間関係の摩擦 → 感情に流されず理性的に対応する力を養う
- 将来への不安 → 自然や運命を受け入れる姿勢を与えてくれる
まとめ
哲学は余興ではなく、人生のためにある。セネカや大カトーの教えは、議論や知識の積み上げではなく、日常に即した「行動の哲学」を求めています。今日から「哲学を使う」意識を持てば、あなたの人生の舵取りはより確かなものになるでしょう。