祈りは誰もがしている
「祈る」という言葉を聞くと、宗教的な儀式や神聖な場所を思い浮かべるかもしれません。けれど、実際には誰もが日常で祈っています。
試験の前に「どうか合格しますように」と心でつぶやく。
スポーツ観戦で「入れ!頼む!」と必死に願う。
不運に見舞われたとき、「なんとかもう一度チャンスをください」と天を仰ぐ。
これらは特定の神に向けられているわけではなくても、すべて「祈り」です。つまり、祈りは人間にとって普遍的な行為なのです。
アウレリウスの問いかけ:祈り方を変えてみないか
ローマ皇帝でありストア派の哲学者マルクス・アウレリウスは、『自省録』の中で驚くような提案をしています。
「『あの女と寝る方法』ではなく『寝たいと思わなくなる方法』を。
『あの男を厄介払いする方法』ではなく『厄介払いしたいと思わなくなる方法』を。
『子を失わない方法』ではなく『失うことを恐れなくなる方法』を祈れ」
これは、私たちが日常的に行っている祈りの多くが「外部を変えたい」という願望にすぎないことを突きつけます。
外に求める祈り vs. 内に求める祈り
外に求める祈りは、「状況が変わってほしい」という願望です。
- 事故が起きませんように
- 相手が自分に優しくしてくれますように
- 病気が治りますように
もちろん、そう願うこと自体は自然な感情です。しかし、外の出来事は必ずしも自分でコントロールできません。だからこそ、叶わないときには絶望や怒りに変わってしまうのです。
一方で、アウレリウスが示すのは「内に求める祈り」。
- 恐怖をなくすのではなく、恐怖に支配されない力を
- 失うことを避けるのではなく、失っても耐えられる心を
- 相手を変えるのではなく、自分の反応を変える力を
これらはすべて自分の手の中にあるものです。外側を変える祈りではなく、内側を鍛える祈りこそが、すでに答えを含んでいるのです。
今日からできる「祈り方の転換」
実際に、祈り方を変えるとはどうすればよいのでしょうか。
- 「成功しますように」ではなく「失敗しても学び続ける力をください」
- 「人に好かれますように」ではなく「嫌われても動じない心をください」
- 「不安がなくなりますように」ではなく「不安と共に歩ける強さをください」
このように、願いの対象を「状況」から「自分自身」に移すだけで、祈りは現実的で力強いものに変わります。
祈りはすでに答えを持っている
「必要なことは自分でこなせるだけの力を願え」――アウレリウスはそう語ります。
外の出来事は思い通りにならないかもしれません。しかし、「どう受け止めるか」は常に自分次第です。だからこそ、祈りはすでに答えを含んでいるのです。
もしも今、あなたが何かを強く願っているなら、その願いを少し変えてみてください。
「状況を変えてほしい」から「自分の心を強くしたい」へ。
その瞬間から、あなたの祈りは現実に効力を持ち始めます。