欲を手放す勇気──菜根譚に学ぶ「無欲に生きる」心の豊かさ
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Taka Knowledge Output
セネカは『生の短さについて』で、こう鋭く問いかけています。
「人生の残り物だけを自分のためにとっておき、何事にもあてられない時間だけを哲学にあてるとは、恥ずかしくないのか?」
多くの人は、仕事や雑務に人生の大半を費やし、自己成長や内面の探求といった大切な営みを「余った時間」に回してしまいます。しかし、これでは本末転倒です。
セネカは、アレクサンドロス大王のエピソードを引き合いに出します。領土の一部を差し出して許しを乞う国々に、彼はこう言ったと伝えられています。
「はるばるアジアまで来たのは、お前たちの差し出すものを受け入れるためではない。お前たちに何を残すかは私が決める。」
セネカによれば、哲学も同じ扱いをすべきです。つまり、余りものとして与えるのではなく、最もよい部分を自ら進んで割り当てるべき対象なのです。
考えてみましょう。
「忙しいから哲学に時間を割けない」と言い訳しながら、実際には膨大な時間を「残り物」として浪費しているのです。
セネカが強調するのは、自己向上や哲学的な探求を、人生の中心に置くことです。
これが、セネカが私たちに勧める「優先順位の逆転」です。
セネカの言葉が私たちに突きつけるのは、シンプルかつ厳しい問いです。
テレビやSNS、雑務や他人の期待ではなく、自分自身の成長に「一番よい部分」を投じましょう。
今日からでも遅くはありません。最良の時間を、最良の目的のために。