人生を「残り物扱い」していないか?
セネカは『生の短さについて』で、こう鋭く問いかけています。
「人生の残り物だけを自分のためにとっておき、何事にもあてられない時間だけを哲学にあてるとは、恥ずかしくないのか?」
多くの人は、仕事や雑務に人生の大半を費やし、自己成長や内面の探求といった大切な営みを「余った時間」に回してしまいます。しかし、これでは本末転倒です。
アレクサンドロス大王の例え
セネカは、アレクサンドロス大王のエピソードを引き合いに出します。領土の一部を差し出して許しを乞う国々に、彼はこう言ったと伝えられています。
「はるばるアジアまで来たのは、お前たちの差し出すものを受け入れるためではない。お前たちに何を残すかは私が決める。」
セネカによれば、哲学も同じ扱いをすべきです。つまり、余りものとして与えるのではなく、最もよい部分を自ら進んで割り当てるべき対象なのです。
現代人の「残り物時間」の実態
考えてみましょう。
- 平均的な人は 週に28時間もテレビを視聴している
- スマホの通知やSNSに膨大な時間を奪われている
- 会議や雑務に丸一日を費やしながら、読書や内省は就寝前の数分だけ
「忙しいから哲学に時間を割けない」と言い訳しながら、実際には膨大な時間を「残り物」として浪費しているのです。
一番よい時間を「自己向上」に
セネカが強調するのは、自己向上や哲学的な探求を、人生の中心に置くことです。
- 朝の静かな時間を、自分の思索や読書にあてる
- 一日の最も頭が冴えている時間に、人生の根本的な問いに向き合う
- 雑務は「残り時間」で処理してもよいが、内面的な成長は「最良の時間」で行う
これが、セネカが私たちに勧める「優先順位の逆転」です。
まとめ ― 「残り物」ではなく「最良の部分」を
セネカの言葉が私たちに突きつけるのは、シンプルかつ厳しい問いです。
- あなたは哲学=自己向上を「残り物」に追いやっていないか?
- 人生で最もよい時間を、誰に、何に与えているのか?
テレビやSNS、雑務や他人の期待ではなく、自分自身の成長に「一番よい部分」を投じましょう。
今日からでも遅くはありません。最良の時間を、最良の目的のために。