「ビクトール・フランクルという人間──極限の体験から生まれた“人生にイエス”の思想」
ビクトール・フランクルという人間──極限の体験から生まれた“人生にイエス”の思想
ビクトール・エミール・フランクル──その名前は、多くの人にとって『夜と霧』や『それでも人生にイエスと言う』で知られているだろう。
だが、彼という人物そのものに迫ると、その思想がどれほど深い場所から生まれたのかが見えてくる。
ある日、喫茶店で出会ったフランクル好きのおじさんが、ボロボロになった二冊の本をテーブルに置きながら話してくれた。
その会話は、フランクルの思想を理解するうえでとても本質的だった。
■ フランクルは「体験としての収容所」を書き残した人
『夜と霧』の原題は《心理学者が体験した収容所》。
つまり、単なる歴史的事実の記録ではなく、心理学者であるフランクル自身が “自分の目で見て、自分の心で感じた” 強制収容所の体験を綴った作品だ。
彼はユダヤ人であるだけの理由でナチス・ドイツに拘束され、アウシュヴィッツを含む複数の強制収容所に送られた。
その場所では、95%の人が到着直後に命を奪われたと言われる。
そんな極限の環境の中を、フランクルは奇跡的に生き延びた。
しかし、おじさんの言葉で印象的だったのはここだ。
「フランクルの心理学は、収容所で生まれたわけじゃない。収容所に入る前からすでに形ができていたんだ」
収容所の体験は確かに過酷だったが、それでも彼の“生きる意味の心理学(ロゴセラピー)”は揺らぐどころか、むしろその有効性が確信に変わっていったという。
■ フランクルが教える“人生にイエスと言う”という姿勢
おじさんが差し出した古びた本の一節には、こんな言葉があった。
人間はあらゆることにもかかわらず──困窮と死にもかかわらず、
身体的・心理的な苦悩にもかかわらず、
人生にイエスと言うことができる。
これはフランクル心理学の核心だ。
“人生にイエスと言う”とは、
何もかもを楽観的に肯定するという意味ではない。
絶望の中にいながらも、
「それでも、生きることを手放さないという態度を選ぶ」
という人間の力を指している。
極限の収容所であっても、彼は自分の心理学を実践し続けた。
その姿勢こそ、彼が「人間には最後まで自由が残されている」と語る理由なのだ。
■ フランクルが語った「自殺は人生のルールに反する」という考え方
おじさんとの会話の中で、フランクルのもうひとつの印象的な言葉があった。
人生のルールは、勝つことを求めていません。
しかし、戦いを放棄しないことだけは求めている。
これは“苦しむ人を責める”ための言葉ではない。
フランクルが言いたかったのは、
「人間はどれほど追い詰められても、最後の姿勢だけは選べる」
という一貫した信念だ。
彼自身が収容所で死と隣り合わせの状況を生き抜いたからこそ、
その言葉には重みがある。
おじさんは真剣な顔でこう言った。
「悩みには大きいも小さいもない。どれも、その人にとっては等しく重いものなんだ。
そして“むなしさ”は逃げるほど追いかけてくる。
だから、逃げずに向き合うことが大事だ」
これはフランクルの思想と完全に一致している。
虚無感は敵ではなく、“向き合うべき問い”なのだ。
■ フランクルという人間の本質は「態度を選ぶ自由」を信じ続けたこと
強制収容所という極限の状況でも、フランクルは人間の尊厳を見失わなかった。
彼が生涯をかけて伝えたのは、たったひとつのことだ。
◎ 人は状況を選べないときでも、
“どう生きるか”という態度だけは選ぶことができる。
この考えは、悲観でも楽観でもない。
むなしさや絶望の中でも、人間としての自由を守るための姿勢だ。
■ フランクルが今を生きる私たちにくれるメッセージ
おじさんは最後にこう言った。
「悩みに良いも悪いもない。
どんな悩みでも、その人の人生にとっては大きいんだ。
だからこそ、フランクルの心理学は誰にでも役立つんだよ」
むなしさに押しつぶされそうな時、
未来が見えなくなった時、
自分の価値がわからなくなった時──
フランクルは静かにこう語る。
「意味は、逃げるのではなく向き合うことで見えてくる」
彼が生きた背景を知ると、
その言葉は「深い理論」ではなく「生き抜いた人間の実感」だということがわかる。
そして私たちは日常の中で、
今日、どんな姿勢を選ぶのかだけは決めることができる。
