悪い状況にあるのが普通だと思え──新渡戸稲造『修養』に学ぶ、どんな逆境にも動じない心のつくり方
「悪い状態にあるのが普通」と考える強さ
新渡戸稲造は『修養』でこう語っています。
「世の中では、人は悪い状態にあるのが普通であり、都合のいい状態にあるのは極めて少ないものだ。」
この言葉は、一見すると悲観的に聞こえます。
しかし、実際はとても現実的で、しかも前向きな考え方です。
私たちは、何か悪いことが起こると「どうして自分だけが」と思ってしまいがちです。
けれども、新渡戸は「悪い状況にあるのがむしろ普通なのだ」と言います。
つまり、困難は“異常”ではなく、“人生の自然な一部”だというのです。
この発想を持つだけで、苦しいときに心が大きく揺さぶられることがなくなります。
困難を「想定外」と思うからこそ、私たちは動揺する。
逆に、「想定内」として受け入れれば、冷静に対応できるようになるのです。
「良い状態」は特別で、一時的なもの
「自分にとっていい状態にあるのは珍しいことで、それは長く続くものではない。」
新渡戸のこの一文には、人生の真理が凝縮されています。
人生には「良い時」も「悪い時」もあります。
しかし、良い状態が長く続くことはほとんどありません。
- 仕事が順調に進んでも、いつか壁にぶつかる。
- 健康であっても、いつか病気や疲れに悩む時が来る。
- 人間関係が良好でも、誤解や衝突が起きることがある。
それが自然の摂理です。
だからこそ、新渡戸は「良い状態を特別な恵みとして感謝し、悪い状態を当たり前のこととして受け入れよ」と教えるのです。
幸福は永続しないが、不幸もまた永続しない。
この事実を理解することが、心の平穏を保つ第一歩なのです。
「悪い時が来る」と覚悟しておく
「いつか自分にも悪いときが来ると覚悟しておくべきだ。」
新渡戸は、「覚悟」という言葉を非常に重視しました。
それは、武士道の精神にも通じる考えです。
覚悟とは、恐れをなくす魔法の言葉ではありません。
**「起こるかもしれないことを、あらかじめ心の中で受け入れること」**です。
たとえば、
- 仕事で失敗するかもしれない。
- 大切な人と別れが来るかもしれない。
- 健康や環境が変わるかもしれない。
こうした現実を否定せず、静かに心に受け止めておく。
それができる人は、実際に困難に直面しても慌てません。
新渡戸が説く「覚悟」とは、
不運を予測して悲観することではなく、不運を予測して動揺しない心を育てることなのです。
悪い状況を「敵」にしない
悪い状況というのは、誰にでも訪れます。
しかし、それを「敵」とみなすか、「師」とみなすかで、人生の質が変わります。
新渡戸は、困難を排除すべきものではなく、
人を磨く修養の機会として捉えていました。
たとえば、
- 苦しい仕事が忍耐を育てる。
- 不遇な時期が感謝の心を育てる。
- 失敗が次の成功の基盤をつくる。
そう考えれば、悪い状況は決して「不幸」ではなく、
むしろ人間を成熟させる“必要な試練”だとわかります。
「悪い状態にあるのが普通」と思うと、
どんな苦境も、心の修養の糧に変えられるのです。
あわてず、恐れず、流れに身を置く
「そのように思っていれば、どんな状況になっても、あわてることも恐れることもない。」
これは『修養』全体に通じる、新渡戸の精神の到達点です。
良い時にも慢心せず、悪い時にも絶望しない。
そのために必要なのは、「悪い時も人生の自然な一部」だと悟ること。
人は、期待が裏切られたときに苦しみます。
しかし、最初から「悪い時があるのは当然」と心得ていれば、
期待が外れても、心は乱れません。
つまり、「悪い状況を想定する」というのは、悲観ではなく心の準備なのです。
それこそが、真の意味での「強さ」なのです。
まとめ:逆境を「当たり前」と思う人は、強い
『修養』第126節の教えは、次の3つにまとめられます。
- 人生では、悪い状態にあることが“普通”である。
- 良い時期は一時的な恵みとして感謝すべきもの。
- 困難を予期して覚悟していれば、恐れずに生きられる。
新渡戸稲造は、「困難に打ち勝て」とは言いません。
彼はむしろ、「困難を受け入れよ」と説きました。
それは逃げではなく、心の修養による強さです。
悪い状況を“想定内”とする心構えがあれば、
人生のどんな波にも穏やかに対応できるのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「いい時は“特別”、悪い時が“普通”。」
だからこそ、いい時には感謝し、
悪い時には焦らず、学び取る心を持て。
そうすれば、どんな逆境の中でも
静かに、自分の軸を失わずに生きていけるのです。
