古代ストア派の哲学者エピクテトスは『提要』でこう述べました。
「誰かに気に入られようとして、自分の力の及ばぬ物事に意識を向けることがあれば、君の人生の目的は台無しになったも同然だ。」
これは、他人の評価に振り回されることの愚かさを鋭く指摘した言葉です。
他人に認められたい気持ちの罠
私たちは日常で、他人に良く思われたいがために不自然な行動をしてしまうことがあります。
- 世間で流行っているからと、気に入らない服を着る
- 本当は苦手な食べ物を「好き」と言ってしまう
- 返信を待ちわびて、心が落ち着かない
- 仕事やSNSで「いいね」や承認を求めて一喜一憂する
こうした行為は一見「適応」のように見えますが、実際には自分を見失い、心の安らぎを遠ざける原因となります。
マルクス・アウレリウスの指摘
ストア派のもう一人の巨人、マルクス・アウレリウスも『自省録』で繰り返し同じことを説きました。
「君が必死で気を引こうとしている人々は、欠陥のある人間である。」
つまり、私たちが承認を求める相手は、必ずしも立派でも完璧でもありません。むしろその人たち自身も流行や欲望に振り回され、意見をコロコロ変える存在です。そんな人々の評価に人生を委ねるのは、あまりに空虚ではないでしょうか。
「ファイト・クラブ」に見る現代の風刺
映画『ファイト・クラブ』の有名なセリフがあります。
「俺たちは欲しくもない物を買って、好きでもない連中に気に入られようとしている。」
これは現代社会の「承認欲求の病」を見事に言い表しています。ブランド品や高級車を手に入れても、それが本当に自分を豊かにするのか? 実際には「他人にどう見られるか」のために動いているのではないか?
承認欲求に振り回されないために
ストア派の教えは、承認欲求から解放されるための実践的な方法を与えてくれます。
- コントロールできるものとできないものを区別する
他人の評価は自分の力の及ばない領域です。そこに心を砕くのは徒労です。 - 自分の理性を最優先にする
「哲学者として生きよ」というエピクテトスの言葉の通り、自分の行動を理性と徳に基づければ、それで十分なのです。 - 日常の選択を自分に問う
服や言葉や行動を選ぶとき、「これは本当に自分が望んでいることか?」と自問するだけで、他人基準から一歩離れられます。
まとめ ― 他人に気に入られるより、自分に誇れる生き方を
承認欲求に支配されると、私たちは心の自由を失います。エピクテトスやマルクス・アウレリウスが繰り返し教えたのは、他人の評価よりも自分の理性に従えということでした。
他人に気に入られることを目的にするのではなく、自分が誇れる生き方をすること。それこそが心の平静と安らぎをもたらす道なのです。