政治・経済

【緊縮財政の闇】なぜ公共事業は叩かれ続けるのか?財務官僚の出世構造が日本経済を縛る理由

taka

公共事業が「悪」とされたのはなぜか?

1990年代以降、日本では公共事業やインフラ投資がメディアで「無駄遣い」と批判され続けてきました。道路・ダム・橋といった国家インフラは、「税金のムダ」と報じられ、国民の間にも“公共事業=悪”という固定観念が広まりました。

しかし、これは自然発生的な世論ではなく、財務官僚が意図的に仕掛けた“情報操作”だった可能性が指摘されています。

経済学者・紺谷典子氏の著書『平成経済20年史』には、次のような驚くべき記述があります。

「公共事業批判の記事が急増した時期に大蔵省へ電話で確認したところ、『もちろんやりましたよ。マスコミに資料も提供しました』と、あっさり認められた」

つまり、当時の大蔵省(現・財務省)は、緊縮財政を推し進めるために、意図的に“公共事業=悪”というイメージを作り上げたというのです。


財務官僚の「関心領域」は国民生活ではない?

財務官僚たちは「財政の健全化」を使命としていますが、その姿勢は国民の実情から大きく乖離しています。実質賃金が40カ月以上連続で前年割れしているにもかかわらず、減税や財政出動の議論は進みません。

これは単なる価値観の違いではなく、官僚の出世構造に根本的な問題があると指摘されています。

財務官僚にとって最大の“関心領域”は、国民の豊かさではなく、自らのキャリア。
消費税の増税や予算削減など、緊縮政策を推進することが出世に直結する仕組みが存在しているのです。


出世するほど「緊縮派」になる理由

若手官僚の多くは「国を良くしたい」という志を持って財務省に入ります。ところが、現実には“緊縮こそ正義”という空気が支配しています。

上司たちは自らが緊縮財政を推進して出世した世代であり、その価値観を共有する後輩を高く評価します。
こうして「緊縮推進=評価される」という構造が再生産され、積極財政派が出世しにくい環境が続いているのです。


「経済成長」では評価されない理由

「経済成長に貢献した官僚を評価すれば良いのでは?」という意見もあります。
しかし、経済成長は長期的で複雑な要因が絡み合うため、「誰の功績か」を明確に数値化できません。

一方で、「○○億円の予算削減」「○%の税率引き上げ」といった緊縮的な成果は数字で示しやすく、短期的に“実績”としてアピールできます。

つまり、出世のためには国を貧しくする方が合理的という、歪んだ構造が存在しているのです。


財務省が「支出を持たない省」であることの弊害

この問題は、財務省の省庁的な性格とも関係しています。

国土交通省なら道路や橋を作り、経済産業省なら企業支援など“成果物”で貢献を示せます。
しかし、財務省は予算配分と徴税が主な役割で、自ら事業を持ちません。

そのため、「削る」「絞る」「増税する」ことでしか存在価値を見せられず、結果として“緊縮に向かうほど評価される”という構図が定着しているのです。


「出世のための緊縮」が国を滅ぼす

このような官僚主義の暴走は、歴史上でも国家の崩壊を招いてきました。
ナチス・ドイツの行政機構でも、官僚たちは出世のために非人道的政策を進めました。誰も責任を取らず、歯車として動いた結果、国全体が破滅へと向かったのです。

日本も同じ轍を踏まないためには、財務省の評価システム自体を改革しなければなりません。
「どれだけ削ったか」ではなく、「どれだけ国民を豊かにしたか」で官僚が評価される仕組みが必要です。


まとめ:日本の未来を縛る“緊縮の連鎖”を断ち切るために

公共事業バッシングは、単なる過去の報道キャンペーンではなく、今も続く“緊縮の再生産構造”の一部です。
私たちが真に問うべきは「どれだけ財政を絞ったか」ではなく、「どれだけ国民生活を支えられたか」。

財務官僚の出世構造が変わらない限り、日本経済の停滞も終わりません。
今こそ、財政運営の「関心領域」を、国民の豊かさへと取り戻す時です。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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