「苦労もし、ゆとりも持つ」──菜根譚に学ぶ、忙しすぎず怠けすぎない生き方の知恵
忙しさと暇、どちらも極端は心を乱す
『菜根譚』の中に、こんな言葉があります。
あまりに暇すぎると、どうでもいい雑念が頭をよぎる。
あまりに忙しすぎると、自分の本心を見失う。
この短い一節には、現代にも通じる深い真理が込められています。
「暇すぎる」と、つい他人のことが気になったり、将来への不安が膨らんだりします。
逆に「忙しすぎる」と、目の前のことに追われ、自分が本当に何を望んでいるのか分からなくなってしまう。
つまり、苦労も必要だが、同時に心のゆとりも欠かせない──それがこの教えの核心です。
苦労は「自分を磨く」ための大切な時間
現代では「苦労=悪いこと」というイメージが強いですが、菜根譚はそれを否定します。
むしろ、心身が少し苦しいくらいの経験こそ、人を成長させるのです。
たとえば仕事での失敗、努力しても報われない時期、人間関係での摩擦。
それらは決して無駄ではありません。
苦労を通じて、自分の弱さや執着に気づき、他人の痛みも理解できるようになります。
“苦労を避ける”のではなく、“苦労の中から学ぶ”。
これが、主体的に人生を歩む人の姿勢です。
しかし、菜根譚は同時にこうも言っています。
「風流を楽しむ心のゆとりも持ち合わせていなければならない。」
つまり、苦労だけでは心が枯れてしまうということ。
だからこそ、努力の合間に「美しいものを感じる余裕」を持つことが大切なのです。
ゆとりが「人生の質」を高める
忙しい現代人にとって、「ゆとりを持つこと」は贅沢ではなく、むしろ必要な習慣です。
心にスペースが生まれると、視野が広がり、感性が研ぎ澄まされます。
例えば、
- 朝のコーヒーをゆっくり味わう
- 週末に自然の中を歩く
- 音楽や読書を通して心をリセットする
こうした小さな時間が、心のバランスを整え、再び前向きに動き出すエネルギーになります。
菜根譚の言う「風流を楽しむ」とは、単なる娯楽ではなく、心の潤いを取り戻す行為なのです。
苦労とゆとり、どちらも「人生の調味料」
苦労ばかりでは疲れ果て、ゆとりばかりでは怠け心が育つ。
だからこそ、人生には「ほどよい苦労」と「ほどよいゆとり」が必要です。
料理で言えば、塩と甘味のバランスのようなもの。
塩辛すぎても、甘すぎてもおいしくない。
苦労とゆとりのバランスが取れてこそ、人生という一皿は深い味わいを持ちます。
この「バランス感覚」を磨くには、次の2つを意識すると良いでしょう。
① 「今の自分」を客観的に見る
忙しすぎて余裕がないとき、あるいは何もやる気が出ないとき。
そんな時こそ、「自分は今、どちらに傾いているか?」を見つめ直してみましょう。
バランスが崩れていることに気づくだけでも、回復の一歩になります。
② 小さな「心の余白」を日常に取り戻す
1日の中で、5分でもいいので「何もしない時間」をつくってみてください。
スマホを手放し、静かに呼吸を整える。
その短い間に、心がリセットされ、思考が整理されていくのを感じられるはずです。
こうした余白が、苦労の中にも落ち着きを与え、充実した毎日を支える土台になります。
苦労とゆとりのバランスが「成熟した生き方」をつくる
『菜根譚』が書かれたのは400年以上前ですが、その教えは今もまったく古びていません。
むしろ、ストレスや情報過多の時代に生きる私たちにこそ、必要な指針といえます。
苦労を恐れず、しかし心をすり減らしすぎない。
頑張るだけでなく、味わう時間も大切にする。
そうした生き方が、心の豊かさと人生の深みを生み出します。
「苦労もし、ゆとりも持つ」という言葉は、単なる中庸のすすめではなく、
“人として成熟していくための道”を示しているのです。
まとめ
- 苦労は自分を磨く機会であり、避けるものではない
- ゆとりは心を潤し、人生を豊かにする要素
- 忙しすぎず怠けすぎず、「ほどよいバランス」を意識する
菜根譚の教えを日々の暮らしに取り入れ、
“頑張ること”と“休むこと”の両方を楽しむ生き方を目指してみませんか?
