うまくいっているときこそ言動に注意せよ──新渡戸稲造『修養』に学ぶ、順境に潜む落とし穴
順境のときほど、最も危険である
新渡戸稲造は『修養』の中でこう述べています。
「すべて物事が順調にいっているときは、一見何の問題もなさそうに見える。しかし、こうしたときこそ気をつけなければならない。」
人生や仕事がうまくいっているとき、私たちは油断しがちです。
「もう大丈夫だ」「自分は成功した」と思った瞬間から、
心の中に“傲慢”と“慢心”が芽生え始めます。
新渡戸は、まさにその瞬間こそが人生の落とし穴だと指摘しています。
なぜなら、逆境では人は慎重になりますが、
順境では判断力が鈍り、言動が乱れるからです。
傲慢は、成功の最大の敵
「傲慢になりやすいのだ。人を見下したしゃべり方をするなど、無礼な振る舞いが目立つようになる。」
成功すると、人は自分の力を過大評価しがちになります。
「自分は他人より優れている」と無意識に思い、
言葉や態度の端々にそれがにじみ出てしまうのです。
たとえば——
- 部下や後輩への言葉が命令口調になる。
- 相手の意見を聞かず、「自分の方が正しい」と思い込む。
- 小さな成功を“自分の実力”と勘違いする。
こうした小さな傲慢が積み重なって、
やがて信頼を失い、周囲の人が離れていく。
新渡戸は、これを「成功者が自らの手で崩れる過程」として見抜いていました。
「調子に乗る」ことの恐ろしさ
「うまくいき始めると、調子に乗って、しなくてもいいことをしようとしたり、してはいけないことに手を出したりするものだ。」
この部分には、現代にも通じる“成功の罠”が表れています。
順調なときほど、人は「もっとやれる」と感じます。
しかし、その「もっと」が曲者なのです。
- まだ実力が固まっていないのに、背伸びをして無理をする。
- 範囲を広げすぎて、本来の目的を見失う。
- 慎重に確認すべきことを「大丈夫だろう」と軽視する。
これが、成功の流れを一瞬で壊すきっかけになります。
新渡戸が教えるのは、**「調子に乗るな」ではなく、「節度を保て」**ということ。
つまり、「勢い」は大切だが、「浮つく」ことは危険だという教えです。
世間を甘く見ると、足をすくわれる
「何事も順調にいっているために、世間を甘く見るようになり、軽率に動いてしまう危険も出てくる。」
この一節は、現代の成功者やビジネスリーダーにこそ刺さる言葉です。
物事が順調に進むと、人は“経験に基づく自信”を持ちます。
しかし、その自信が「過信」へと変わった瞬間、
世の中を甘く見るようになり、思わぬところで失敗します。
たとえば、
- 市場の変化を軽視して行動が遅れる。
- 他人の忠告を聞かなくなる。
- 「自分だけは大丈夫」と思い込み、リスクを見誤る。
新渡戸は、「世間を甘く見る」ことを心の盲点と呼びました。
成功によって心が膨張すると、見えないものが見えなくなる。
だからこそ、順調なときにこそ「慎み」を忘れてはいけないのです。
真の成功者は、謙虚な心を保つ人
新渡戸は、成功とは一時的な結果ではなく、**「人格の成熟」**だと考えていました。
つまり、どれだけ成果を出しても、謙虚さを失えば“成功者”とは言えないのです。
たとえば、歴史に名を残す人物ほど、
成功しても驕らず、むしろ言葉や態度を慎みました。
- 豊臣秀吉は「高転びして、後で泥をすくう」と戒めた。
- 松下幸之助は「成功したときほど謙虚であれ」と語った。
新渡戸の教えも同じ方向にあります。
**「成功は人格を試す瞬間」**であり、
そのときにこそ、本当の品格が問われるのです。
順境における「修養」とは
『修養』という言葉には、「自分の心を磨き、節度を保つ」という意味があります。
つまり、修養は「苦しい時に自分を律する」ためだけのものではありません。
むしろ、順調な時こそ修養が必要なのです。
なぜなら、逆境では謙虚になり、反省しやすい。
しかし順境では、心が緩み、傲慢や油断が忍び込む。
だからこそ新渡戸は、
「うまくいっているときこそ言動に注意せよ」と強く警鐘を鳴らしたのです。
まとめ:順境こそ、心を整える時間
『修養』第135節の教えをまとめると、次の3つに集約されます。
- 順調なときほど傲慢になりやすい。
- 成功の勢いに乗りすぎると、判断を誤る。
- 謙虚さと慎重さを忘れなければ、成功は長続きする。
新渡戸稲造は、逆境に打ち勝つ力だけでなく、
順境においても心を乱さない強さを重んじました。
「調子のよい時こそ、静かに己を省みよ。」
この一言こそ、『修養』の精神の真髄です。
成功は人を試し、謙虚さは人を守る。
そのことを忘れずに日々を過ごせば、
どんな順境の中でも、心を穏やかに保ち続けることができるでしょう。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「絶好調のときほど、静かに口を閉じよ。」
順境は祝福であると同時に、試練でもあります。
だからこそ、成功の瞬間にこそ、心を整える修養が必要なのです。
