使われる覚悟をもて──新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、本物のリーダーが備える“仕える力”
「人を活かして使う」とは何か
新渡戸稲造は『人生読本』の中でこう語ります。
「何事によらず、『人を活かして使う』ということは、部下をもつ者のつとめだ。」
どんな立場にあっても、リーダーに求められるのは“人をうまく使うこと”ではなく、
**「人の持ち味を活かすこと」**です。
“使う”という言葉には冷たさがありますが、
“活かす”という言葉には愛と理解が含まれています。
新渡戸のこの言葉には、
人を「道具として扱う」のではなく、
その人の力を引き出し、成長を助けるという真のリーダー像が描かれています。
人を活かすには、まず「使われる覚悟」が必要
「『人を活かして使う』ためには、自分が使われる覚悟をもたなければならない。」
新渡戸がここで語るのは、謙虚なリーダーシップの本質です。
人を動かすには、まず自分が動かされる立場を知れということ。
つまり、
- 指示する前に、指示される経験を。
- 任せる前に、任される努力を。
- 導く前に、従う姿勢を。
「使われる覚悟」とは、上に立つための前提条件であり、
“仕えることの尊さ”を理解した者だけが、本当に人を導けるという新渡戸の信念なのです。
聖書の言葉に学ぶ「奉仕する者こそ真の長」
「聖書に、『汝、人の長たらんとする者は、自ら人の下僕たれ』という言葉がある。」
この引用は、新渡戸稲造が深く尊敬していた聖書の一節からのものです。
原典では、イエス・キリストの教えとして伝わる次のような言葉に通じます。
“Whoever wants to become great among you must be your servant.”
(偉くなりたい者は、みな人に仕える者となりなさい。)
つまり、“仕える者こそ、真に偉大な者である”という逆説的な真理です。
新渡戸は、これをリーダーの本質として受け止めました。
「人の上に立つとは、人のために立つこと」——
地位や名誉ではなく、奉仕の心こそが、真の指導者を形づくるということです。
「使われる覚悟」が人間を強くする
「使われる」と聞くと、どこか屈辱的に感じる人もいるかもしれません。
しかし新渡戸は、それを人格の鍛錬の場と考えました。
上に立つ者こそ、他人の意見に耳を傾け、時には理不尽さにも耐え、
柔軟に対応しなければならない。
- 自分の思いどおりにならないときにこそ、人間力が試される。
- 不当な扱いを受けても、感情に流されず冷静に行動できる。
- 上からも下からも信頼されるような「中庸の心」を持つ。
こうした修養の積み重ねが、「使われる覚悟」を持つ人を真のリーダーへと育てていくのです。
「人のために自己を犠牲にする」とは何か
「他人のために自己を犠牲にするとは、まさにこのことである。」
新渡戸の言う「自己犠牲」は、単なる我慢や自己否定ではありません。
それは、自分の能力・時間・立場を他者のために使う精神のことです。
たとえば:
- 部下の成長のために、あえて裏方に回る。
- 組織全体のために、自分の功績を譲る。
- トラブルの責任を引き受け、部下を守る。
こうした行動は、一見損をしているように見えて、
実は最も信頼を得る“真のリーダーシップ”なのです。
新渡戸は、人を導くことを「支配」とは考えませんでした。
それは「奉仕」であり、
自分を捨てて他者を立てる生き方こそが、最も高貴で強いと信じていたのです。
「仕える力」があってこそ、人を動かせる
現代のビジネスで言えば、これはまさにサーバント・リーダーシップの考え方です。
命令やコントロールで動かすのではなく、
相手を支え、信頼関係を築くことで人が動く。
部下を活かすリーダーは、
まず「自分が使われる立場」を理解している。
- チームの中で、自分がどう貢献できるかを考える。
- 相手の意見に耳を傾け、尊重する。
- 自分の成功よりも、他者の成長を喜ぶ。
その姿勢が周囲の信頼を集め、
結果として、自然に人がついてくるのです。
まとめ:リーダーの本質は「仕える覚悟」にある
『人生読本』のこの章が伝えるメッセージは、次の3つにまとめられます。
- 人を活かして使うためには、まず自分が使われる覚悟を持つこと。
- 真のリーダーは、他人のために自らを犠牲にできる人である。
- 「仕える精神」こそが、最も強く、最も尊いリーダーの力である。
新渡戸稲造が描いたリーダー像は、威厳や権力の象徴ではなく、
**人のために働き、人の信頼を集める“静かな強者”**でした。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなります。
「人の上に立ちたいなら、まず人の下に立て。」
他者の立場を理解し、仕えることを恐れない人。
その謙虚さと奉仕の心こそが、
時代を超えて信頼される“本物のリーダー”をつくるのです。
