自己啓発

意見を変えることを恐れない ― エピクテトスに学ぶ謙虚さと学びの姿勢

ストア派の哲学者エピクテトスは『語録』でこう述べています。

「人間から取り除かなければならないものが二つある。うぬぼれと不信である。」

ここでいう「うぬぼれ」とは「自分にはもう何も必要ない」という思い込み、不信とは「この世では幸福になれるはずがない」という諦めの姿勢を指します。どちらも私たちの成長を妨げるものです。


思い込みに支配される危うさ

誰しも次のような経験を持っているのではないでしょうか。

  • 大きな仕事を始める前に、全体像が「分かった気」になった
  • 初対面の人を一瞬で判断し、後からその印象が誤りだと知った
  • 問題を解決しているつもりが、実は事態を悪化させていた

これらはすべて、偏見や思い込みに支配されていたことの証拠です。


自分に問いかける習慣を持つ

思い込みに気づくには、自分に問いを投げかけることが有効です。

  • 見落としていたことはないか?
  • なぜこんな事態になっているのか?
  • 自分の行動がかえって問題をこじらせていないか?
  • 私は間違っていたのではないか?

この内省があるからこそ、私たちは偏見の殻を破り、柔軟に意見を変えられるのです。


賢さの要点 ― 謙虚さと柔軟さ

エピクテトスの教えの核心はシンプルです。

「私たちは自分で思うほど利口でも賢くもない。」

だからこそ、真に賢くなりたいなら、まず自分自身を疑うことから始めるべきです。過信や傲慢に陥れば、学びの扉は閉ざされてしまいます。逆に、柔軟に意見を変えられる人こそが、成長を続けられるのです。


意見を変えることは弱さではない

多くの人は「意見を変えるのは優柔不断」「信念がない」と考えがちです。しかし、実際にはその逆です。

  • 新しい情報を取り入れて軌道修正できるのは、強さの証し
  • 自分の誤りを認めるのは、誠実さの表れ
  • 状況に応じて考えを改めるのは、柔軟な理性の働き

むしろ意見を変えられないことこそ、頑固さや恐れに支配されている状態なのです。


まとめ ― 謙虚さが学びを広げる

エピクテトスが示すように、私たちは「自分の正しさ」を疑い、謙虚さを持つことで初めて学び続けることができます。

意見を変えることは、迷いではなく進歩の証。
今日から、「私は間違っているかもしれない」と思える勇気を持ちましょう。

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taka
理学療法士TAKAが自分の臨床成果を少しでも高めるために、リハビリ・運動学・生理学・物理療法について学んだ内容を発信。合わせて趣味の読書や自己啓発等の内容の学びも自己満で発信するためのブログです。