『何回説明しても伝わらない』の正体を認知科学が解く|“話せばわかる”が通じない本当の理由
『何回説明しても伝わらない』が教えてくれる、コミュニケーションの本質
「何度も説明したのに伝わらない」
「なぜか話がかみ合わない」
――そんな経験はありませんか?
相手が理解力に欠けているわけでも、あなたの説明が下手なわけでもありません。
その原因は、人間の脳の仕組みにあるのです。
認知科学者・今井むつみ氏の著書『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)は、「話せばわかる」という常識を根底から覆す一冊。
人の理解・記憶・判断がどのように“ズレ”を生むのかを、科学的に解き明かします。
「話せばわかる」は幻想だった
私たちは無意識のうちに、「言葉で説明すれば、相手に正しく伝わる」と信じています。
しかし実際には、人は自分の“当たり前”を通してしか理解できないのです。
この「当たり前」こそ、認知科学でいうスキーマ(知識や経験の枠組み)。
たとえば「ネコ」と聞いて思い浮かべる姿や性格は、人によってまったく違います。
ある人にとっては黒猫、別の人には子猫、また別の人には野良猫かもしれません。
つまり、同じ言葉でも、受け取る意味は人それぞれ。
どれだけ丁寧に話しても、相手のスキーマが違えば、解釈も違ってしまうのです。
「わかったつもり」が一番危険
「うん、わかりました!」
そう言ってもらえたとき、私たちは安心します。
でも、その“わかった”は本当に同じ理解でしょうか?
著者はここに、大きな落とし穴があると指摘します。
人は自分の経験や先入観をもとに「理解した気」になりやすい。
たとえ相手が正しく伝えようとしても、聞き手の頭の中で内容が自動的に補完・変形されてしまうのです。
だから、「わかったつもり」「伝えたつもり」がすれ違いの温床になる。
この“ズレ”こそ、コミュニケーションの本質的な難しさです。
「認知バイアス」が理解を歪める
人間の思考は、常にバイアス(偏り)を含んでいます。
これを認知バイアスと呼びます。
たとえば、あるテーマに強い信念を持っている人は、それに合う情報だけを信じ、反対の情報を無視します。
著者はこの現象を「信念バイアス」と紹介し、こう述べます。
「人は、正しいから信じるのではなく、信じたいものを正しいと思う。」
政治・社会問題だけでなく、職場の人間関係でも同じです。
「上司はいつも自分を評価しない」「この部下はミスが多い」――
一度こうしたフィルターがかかると、その後の会話もすべて歪んで見えてしまうのです。
「心の理論」で相手の頭の中を想像する
では、どうすれば“伝わる”会話ができるのでしょうか?
鍵になるのが、**心の理論(Theory of Mind)**です。
心の理論とは、「他人にも自分とは違う考えや視点がある」と理解する力。
子どもが成長する過程で少しずつ身につけていく認知能力です。
大人のコミュニケーションでも、この力が欠けていると、
「なんで理解してくれないの?」と相手を責めてしまう。
たとえばビジネスでの報告ひとつ取っても、
- 自分の安心のために報告しているのか
- 上司の判断材料を提供するために報告しているのか
によって意味はまったく異なります。
「相手が何を求めているのか?」を想像する。
それが、伝える前に最も大切なプロセスなのです。
「メタ認知」で自分の思考を振り返る
もうひとつのポイントは、メタ認知です。
メタ認知とは「自分の思考を客観的に見る力」。
言い換えれば、“自分の説明のどこが伝わりにくいか”を俯瞰できる力です。
心理学者ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』で、人の思考を
- 直感的で速い「ファスト思考」
- 熟考的で慎重な「スロー思考」
に分類しました。
メタ認知とは、ファストで決めた判断をスローで見直す行為にほかなりません。
職場でも、「この資料、本当に伝わるかな?」「相手の立場ならどう受け取るだろう?」と立ち止まるだけで、コミュニケーションの質は格段に上がります。
「伝える」より「確かめる」へ
伝わらない原因は、説明不足ではなく認識のズレ。
だからこそ、伝えるよりも「確かめる」姿勢が重要です。
「ここまでで合っていますか?」
「あなたの理解を聞かせてください」
このような“確認のキャッチボール”が、認知のズレを埋めてくれます。
理解とは、相互に作り上げていく共同作業なのです。
まとめ:「わからない」は“脳の仕様”である
『何回説明しても伝わらない』は、単なる“伝え方ハウツー”ではありません。
人間の脳がどのように世界を理解し、どこでズレが生まれるか――その構造を教えてくれる、認知科学の教科書のような一冊です。
人は誰もが、自分のスキーマとバイアスの中で生きています。
だから「伝わらない」は異常ではなく、むしろ自然な現象。
大切なのは、
- 相手の頭の中を想像する「心の理論」
- 自分の思考を客観視する「メタ認知」
- そして、理解を確かめ合う対話の姿勢
“話せばわかる”の幻想を手放したとき、初めて本当のコミュニケーションが始まります。
