政治・経済

消費税と社会保障の代償:名ばかりの国民会議に問う

taka

社会保障の財源という大義名分

「消費税は社会保障の重要な財源である」。政府が繰り返すこの言葉を、仮に百歩、いや十万歩譲って受け入れたとしよう。少子高齢化が進む日本において、社会保障制度を維持するためには安定した財源が必要だという理屈は、一見すると筋が通っているように思える。しかし、その大義名分を守るために、私たちが支払っている「代償」について、冷静に目を向ける必要があるのではないだろうか。目的が正しいからといって、いかなる犠牲も許容されるわけではないのである。

中小企業の倒産と実質賃金の低下

消費税が社会保障のためだとしても、その結果として地域経済を支える中小企業が次々と倒産してよいという理屈には決してならない。さらには、この30年間、日本の実質賃金が下がり続けているという異常な事態を「仕方がない」と諦める理由にもならないのである。 消費税の負担は、確実に国民の購買力を削ぎ落とし、国内の需要を冷え込ませてきた。社会保障という将来の安心を買うために、日々の生活そのものを破壊され、国家の経済基盤である中小企業が潰れていく。どう考えても、この税制がもたらした犠牲はあまりにも大きすぎるのである。

声なき声を排除する「国民会議」

こうした国民の悲鳴や、日本経済が直面している冷酷な現実に目を向けようとしない人々がいる。あろうことか、消費税の弊害という本質的な議論を避け、最初から「消費税ありき」の前提を共有する者たちだけで集まり、今後のあり方を話し合う場が設けられているという。そして、驚くべきことに、その偏った集まりが「国民会議」と名付けられているのだ。多様な国民の意見を代弁すべき場で、最も苦しんでいる人々の声が最初から排除されている。この滑稽な事態に、片腹痛いと感じるのは決して私だけではないはずだ。

犠牲の上に成り立つシステムからの脱却

特定の前提を盲信し、不都合な真実から目を背けるような会議から、国民を救う有効な政策が生まれるはずがない。私たちが直面しているのは、数字合わせのための財政論ではなく、明日を生きるための生存権の危機である。中小企業をなぎ倒し、労働者の賃金を奪い続けるシステムは、もはや維持する価値を持たない。「国民会議」という名前にふさわしい、真の意味で国民の生活と痛みに寄り添う議論こそが、今、強く求められているのである。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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