雑談の正解はどこにある?100冊のビジネス書から見えた“混沌のコミュニケーション術”
雑談はなぜこんなに難しいのか
「何を話せばいいのかわからない」という悩みは、多くの人に共通しているようだ。実際、雑談をテーマにしたビジネス書が複数存在し、悩みの普遍性を物語っている。ところが、内容を読んでいくと驚くほど矛盾が多く、まさに混沌そのもの。
ここでは、その“混沌の雑談術”を整理してみたい。
「意味のない話をしろ」という主張
まず、『超雑談力』では雑談の定義がシンプルだ。
「雑談におもしろさも結論もいらない。ただ続けばいい」
著者によれば、雑談は仲良くなるためのものであり、ファクトは不要。むしろファクトは避けるべきだとまで言い切っている。推奨されている話題は「食べ物の好き嫌い」で、実例としてラーメンの話題が紹介されている。
会話のレベルは軽やかで、たしかに気軽に真似しやすい。しかし、人によっては「美容院で無理やり話を振られたときの気まずさ」を思い出すかもしれない。
とにかく、「意味のない続く会話」が理想形として示されているのが特徴だ。
「好き嫌いの話は幼児的でつまらない」という真逆の主張
しかし、別の本を開くとすぐに矛盾が登場する。
『読みたいことを、書けばいい。』では、食べ物の好き嫌いを語る人間を強く否定している。
「つまらない人間」
「幼児性が強い」
ここまで断言されると、読んでいて思わず苦笑してしまうほどだ。
さらに、著者が勧めるのは「ファクトを使った会話」。
例として「ブロッコリーの匂い成分の解説」が紹介されており、雑談とはいえ専門的な知識を軽く添えることで会話が膨らむという考え方である。
つまりこの本では、『超雑談力』で推奨されていた話題がそのまま“やってはいけない雑談”として扱われている。
真逆の主張が、堂々とベストセラー同士でぶつかり合っているのだ。
「ムダ話をするな」という第三の主張
混沌はまだ続く。
『超一流の雑談力』では、
「雑談はムダ話ではない」
と明言されている。ムダ話をしている人は大きな損をしている、とまで書かれており、こちらも『超雑談力』とは方向性がまったく違う。
さらに推奨されているのは「役に立つ知識」の提供。「雑学」ではなく「使える知識」である点がポイントだ。ここでもやはり、食べ物の好き嫌いのような個人的な話題は肯定されていない。
つまり、
- 意味のない話をしろ
- 意味のない話はやめろ
- 役に立つ知識を話せ
この3つがそれぞれ別の書籍で強調されている状態である。
読者は混乱するしかない。
三者が唯一共有していた“真理”
では、これだけ矛盾だらけの教えのなかで、共通していた点はあるのか。
実は一つだけあった。
それは「意見が食い違ったときの対処法」。
- 『超雑談力』:「ありがとうございました」で会話を終える
- 『超一流の雑談力』:「うかつでした!」で会話を終える
表現は違うものの、どちらも「争わず、静かに会話を終了せよ」という教えを共有している。
これだけはふたりの著者が一致していたため、雑談の黄金律と言えるのかもしれない。
実際、相手と意見がぶつかり始めたときに、無理に自分の主張を通すよりも、いったん会話を収束させた方が場は和やかなまま保たれる。雑談はあくまでも人間関係を滑らかにするためのものだから、これはたしかに理にかなっている。
雑談に「正解」は存在しない
ここまでの矛盾を整理すると、結論はとてもシンプルだ。
雑談に唯一の正解はない。
意味のない会話を心地よいと思う人もいれば、知識のある話題が好きな人もいる。会話の心地よさは相手との関係性や場面によって変わるものだ。
雑談の本を読むときは、どれが“正しいか”ではなく、
“自分に合うのはどのタイプか”
という視点で選ぶのが、最も健全な向き合い方なのだろう。
