「人の根を育てる」──幸田露伴『努力論』に学ぶ、真の成長を支える“根本培養”の思想
「根を育てる」ことの大切さ
幸田露伴の『努力論』には、人間の成長や修養についての核心的な洞察が数多く語られています。
この第199節「人間の根を育てるのは植物以上に難しい」も、その中でも特に深い章です。
露伴は冒頭でこう述べています。
「根本培養が植物にとって重要であることは、種子の殻が破れて発芽する最初のときから、空高く伸びていくその成長の盛りに至るまで、一貫して変わらない。」
つまり、植物がどれだけ大きく育つかは、根をどれだけしっかり張れるかにかかっているということです。
そして露伴は、
「人間の行うこともすべて根本培養が基本だ」
と続けます。
人間の成長も同じように、「根を育てること」こそがすべての出発点なのです。
「根本培養」とは何か──露伴の比喩の真意
「根本培養」という言葉は、露伴の思想を象徴する重要な概念です。
これは単に「基礎教育」や「初歩的な訓練」を意味するのではありません。
露伴のいう「根」とは、
- 人間としての信念
- 忍耐や努力の習慣
- 物事に取り組む誠実な姿勢
など、**その人の行動を支える“精神的基盤”**のことです。
木が嵐に耐えられるのは、地中に深く張った根があるから。
同じように、人間もどんな困難にも折れないためには、
深く強い根=精神の土台を育てておく必要があります。
植物よりも人間の「根」を育てるのが難しい理由
露伴はこう言います。
「植物の場合は、その最も重要な根を見つけて培養することはそれほど難しいことではない。しかし、人間の行うことに関しては、その根本がどこで、またそれをどのようにして培養したらいいのか、なかなか見つけ出すことが難しい。」
植物は種をまけば、自然の摂理に従って根を張ります。
しかし人間は、自分で“根”を見つけ、自分で育てなければならない。
それが難しさの本質です。
たとえば、
- 何を信じて生きるのか
- どんな努力を「自分の軸」とするのか
- どんな価値観に基づいて行動するのか
こうした「根の在り処」は、人によってまったく異なります。
だからこそ、露伴は「人の根を育てることは植物以上に難しい」と語ったのです。
「根のない成長」は、長く続かない
現代社会では、「スピード」や「効率」が重視されます。
短期間で成果を出すことが評価され、即戦力が求められます。
しかし露伴の視点から見れば、「根を育てないまま伸びる成長」ほど危ういものはない。
根の浅い木は、風が吹けばすぐに倒れます。
同じように、基盤のない成功は、一瞬で崩れ去ります。
- 一時的な人気に浮かれる人
- 成功法だけを真似して中身を磨かない人
- 学びの「根」を省いて結果だけを求める人
こうした人々の成長は、見た目ほど強くありません。
露伴が説いた「根本培養」とは、結果を焦らず、土台を固める生き方そのものなのです。
「人を育てる」ということの本当の意味
露伴の言葉は、教育者やリーダーにとっても深い示唆を与えます。
人を育てるとは、知識を教え込むことではなく、根を育てること。
それはつまり、
- 耐える力を教えること
- 自分で考え、判断できる力を伸ばすこと
- 困難に出会っても折れない精神を養うこと
このように、「根を育てる教育」こそが、人を真に自立させる教育です。
しかしそれは簡単なことではありません。
露伴の言うように、
「人間の行うことに関しては、その根本がどこで、またそれをどのようにして培養したらいいのか、なかなか見つけ出すことが難しい。」
だからこそ、教育や人材育成に携わる人は、
相手の「根」を見抜く洞察力と、それを育てる忍耐力を持たなければならないのです。
「根を育てる努力」は、目に見えないが最も価値がある
根は地中にあり、外からは見えません。
だから、根を育てる努力は、評価されにくいものです。
しかし、見えない部分を大切にできる人ほど、長く伸びる。
露伴の「根本培養」という言葉は、
“見えない努力を怠るな”という人生哲学でもあるのです。
華やかな成果や称賛を求めるよりも、
地道に自分の根を太くしていくこと。
それが、努力の本質であり、人生を長く支える力になるのです。
おわりに:人の根は、時間をかけて育つ
幸田露伴の『努力論』は、努力を単なる「頑張り」としてではなく、
**人生を深めるための“根を張る行為”**として描いています。
「根を育てる」ことは、時間がかかります。
だが、その時間こそが人を鍛え、人生を豊かにします。
露伴の言葉を現代に置き換えれば、こう言えるでしょう。
「成果を急ぐな。まず根を張れ。」
見えないところに力を注ぐ人ほど、後になって大きく花を咲かせるのです。
