政治・経済

お金は「使う」と消える? 唯一の「消滅地点」とは

taka

「お金は天下の回りもの」の物理的真実

私たちがコンビニで弁当を買い、千円札を支払う。すると、私の財布から千円が消える。 個人の視点で見れば、確かにお金は「無くなった」ように感じる。だが、物理的な視点、あるいはマクロ経済の視点で見れば、その千円札はこの世から消滅したわけではない。

それはレジを通り、コンビニの売上となり、やがて店長の給料や、仕入れ業者への支払いへと姿を変える。受け取った彼らは、またそのお金で別の何かを買うだろう。 「誰かの支出は、誰かの所得である」。 この言葉通り、民間経済の中において、お金は消えることなく、人から人へ、企業から企業へと、無限のバケツリレーのように循環し続けているだけなのである。

循環の終わり、あるいは「焼却炉」

では、一度発行されたお金は、永遠に社会を漂い続けるのだろうか。 答えは否である。この無限にも思える循環には、明確な「ゴール」、言い換えれば「焼却炉」が存在する。 それこそが、「政府による徴税」である。

通貨発行権を持つ政府(および中央銀行)にとって、お金とは「自らが発行した借用証書(負債)」である。 民間同士で貸し借りをしている間は、その証書は回り続ける。しかし、その証書が発行元の手元に戻ってきた時、つまり国民が税金を納めた瞬間、その貸借関係は解消され、お金は役割を終える。 ここで初めて、お金は物理的に、そしてデータ上でも完全に「消滅」するのである。

税金は「回収」であり「財源」ではない

多くの人は、集められた税金がそのまま政府の金庫に保管され、次の公共事業に使われると考えている。 しかし、通貨発行権を持つ政府にとって、戻ってきた自分自身の借用証書を、再び大切に保管する必要などない。それは単に「済」の判を押して破棄する紙切れと同じだ。

税金とは、政府が新たな活動をするための財源ではない。市場に溢れすぎたお金を回収し、インフレを防ぐために消し去るための「調整弁」なのである。 お金は民間を巡り、経済を潤し、最後に政府という焼却炉で消える。 この「誕生と死」のサイクルを理解した時、初めて我々は「財政」というものの本当の姿を目にすることができるのだ。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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