ローマ皇帝にしてストア派哲学者であったマルクス・アウレリウスは『自省録』でこう書いています。
「不可能なことを追いかけるのは狂気の沙汰である。だが、卑しい人間はそれしかできないのだ。」
この言葉が示すのは、理性を欠いた人間の姿です。私たちは放っておけば、犬が車を追うように無意味なものを追いかけ、子供が節度を知らずわがままになるように、衝動に支配されてしまうのです。
自制と規律の欠如が招くもの
自制や規律を欠いた人は、外の世界の出来事に翻弄され、自らの本能的な衝動に振り回されます。
- 感情を抑えられず、後悔する言葉を吐く
- 投資家のはずが、ただの投機家として一獲千金を夢見る
- 習慣を軽視し、気づけば生活が乱れている
理性を伴わない行動は、一時的な快楽をもたらすかもしれません。しかし、その代償は大きく、長期的には自己の成長を妨げるのです。
習慣こそ人間をつくる
「性格は習慣の集合である」と言われるように、日々の小さな行いが積み重なって私たちを形づくります。
- 読書の習慣 → 思考の深さ
- 運動の習慣 → 健康と体力
- 感謝の習慣 → 対人関係の安定
- 自省の習慣 → 精神的な成熟
逆に、悪習が積み重なれば、それは確実に人格を歪めていきます。だからこそ「修練」が必要なのです。
修練を始めるためのステップ
では、どうすれば日々の修練を自分の生活に根づかせられるのでしょうか。
1. 小さな一歩から始める
いきなり大きな目標を掲げるのではなく、読書を1ページ、運動を5分といった小さな習慣を積み重ねましょう。
2. 無知と無規律を自覚する
「自分は大丈夫」と思った瞬間に衝動に飲まれます。自分の弱さを認めることが、修練の出発点です。
3. 行動を振り返る
一日の終わりに、どんな行動が理性的で、どんな行動が衝動的だったかを省みましょう。省察は次の日の修練に直結します。
修練がもたらす変化
日々の修練を重ねれば、少しずつ言動が変わっていきます。
- 不可能なことに執着しなくなる
- 近視眼的な誘惑に流されにくくなる
- 無駄なことを追いかけず、必要なものに集中できる
こうして、自分を律することができる人間へと成長していくのです。
まとめ ― 修練は自由を生む
マルクス・アウレリウスの警告に耳を傾けましょう。無自覚に生きれば、私たちは衝動に支配されます。しかし日々の修練を通じて自制と規律を育めば、理性の導く自由な人生を手に入れることができるのです。
人間をつくるのは、天性ではなく習慣。そして習慣を鍛えるのは、日々の修練なのです。