『「身を切る改革」の正体:国会議員定数削減が招く民主主義の自殺』
「削減=善」という思考停止
なぜ、日本は国会議員の数を減らす必要があるのか。この問いに対し、明確かつ論理的な答えを持てる者はどれほどいるだろうか。 世間では「議員定数削減」こそが正義であり、改革であるという風潮が支配的である。しかし、冷静に考えてみてほしい。「適切な国会議員の数」などという正解は、本来誰にも分からないはずである。我々は神ではないのだから。 よく引き合いに出される「諸外国との比較」においても、日本の議員数は決して多くはない。人口比で見れば、むしろ少ない部類に入るとさえ言える。
客観的なデータを見れば、「日本は議員が多すぎる」という前提自体が崩れる。それにもかかわらず、維新の会が削減を叫び、自民党がそれに同調する。この奇妙な合意形成の裏には、一体何が潜んでいるのだろうか。
権力の集中と「独裁」への道
議員定数を減らすことの本質的な意味、それは「議員一人当たりの権力が増大する」ということに他ならない。定数を減らせば、一人の政治家が背負う権限は相対的に重くなる。果たして我々は、特定の政治家に強大な権力を集中させることを望んでいるのだろうか。 さらに懸念すべきは、政治とカネの問題との連動である。企業団体献金の廃止とセットで議員数を減らせばどうなるか。資金力がなく、権力だけが集中した少数の政治家が生まれる、あるいは逆に、資金力のある一部の特権階級しか政治に参加できなくなる恐れがある。 「カネのない権力者」ほど、厄介で危険な存在はない。ポピュリズムに迎合し、短期的な利益のために国家を切り売りするような政治家が増える未来は、決して空想ではないのである。
地方の声が届かない「東京一極集中」の加速
定数削減がもたらす最大の弊害は、地方の切り捨てである。 「一票の格差」是正の名のもとに定数を削減すれば、人口の少ない地方の選挙区は合区され、統廃合されていく。結果として、地方の声は国政に届かなくなり、人口が集中する東京や大都市圏の利益ばかりが優先される政治構造が完成する。
これは実質的な民主主義の後退である。「改革」という美名のもとに、多様な民意を切り捨て、効率性だけを追求する。それが本当に我々の望む国家の姿なのだろうか。 本来議論すべきは、「減らすこと」そのものではない。「どのような国会であるべきか」「この国をどう形作るのか」というグランドデザインである。
国家の設計図なき「改革」の危うさ
例えば、東京一極集中をさらに進めたいのであれば、地方の議員を減らし、都市部の議員を増やせばいい。これまでの日本の政治は、無自覚にせよそれを推し進めてきた。その結果が、現在の地方衰退と都市過密という歪な構造である。 「身を切る改革」という言葉は、有権者にとって耳心地が良い。しかし、その耳障りの良い言葉に酔いしれ、思考停止に陥ってはならない。「数を減らせば良くなる」などという単純な話ではないのだ。 定数削減の議論の前に、まずは「日本をどうするか」という本質的な議論を尽くすべきである。説明なき削減は、民主主義への冒涜と言えるだろう。
