「貧乏」とは敵ではない――幸田露伴『努力論』に学ぶ、お金と心の付き合い方
「貧乏」は避けられない、でも恐れる必要はない
幸田露伴は『努力論』の中でこう語ります。
「貧乏が勝手にやって来て勝手に去って行くことは、大小の違いはあっても争い得ない事実だ。」
つまり、貧乏とは“敵”でも“罰”でもなく、人生の中で自然に訪れる一つの状態だということです。
誰にでも、経済的に厳しい時期はあります。
しかし露伴は、そうした状況を「目の敵にするな」と言います。
貧乏はわざわざ人を苦しめようとして来るわけではない――
だから、必要以上に恐れることも、恥じることもないのです。
「貧乏=不幸」とは限らない
現代社会では、「お金がない=不幸」と感じてしまいがちです。
けれど露伴の考え方は、それをやさしく否定します。
「貧乏神に襲われたからといって、必ず苦しまなければならないという約束も義務もない。」
つまり、貧しいこと自体が苦しみではなく、どう受け止めるかがすべてなのです。
たとえば、節約生活の中に工夫や喜びを見出す人もいれば、豊かでも満たされない人もいます。
露伴は、人間の幸福は“外側の状態”よりも“内側の心”にあると教えています。
貧乏と「うまくつき合う」ための心構え
露伴は、「貧乏を敵視するのではなく、うまくつき合え」と言います。
それはつまり、状況を受け入れ、自分の考え方を主体的に選ぶことです。
- お金がないときこそ、創意工夫をするチャンス
- 余裕がないからこそ、本当に必要なものが見える
- 失うことを恐れない心が、人生を強くする
露伴の言葉には、そんな現実的で前向きな哲学が込められています。
「苦しむかどうかは、自分が決めること」。
この考え方こそ、どんな時代でも通用する“精神の豊かさ”です。
心の自由があれば、どんな状態でも生きられる
露伴は、貧乏を「自然現象のようなもの」として捉えています。
雨が降るように、風が吹くように、貧しさもただ“起こる”。
だからこそ、必要なのは「心の態度」だけです。
お金があるときには感謝を、ないときには工夫を。
その姿勢を保てば、貧富に関係なく人生は安定します。
私たちはつい「もっとお金があれば」と願いますが、
本当の豊かさは“心の平穏”と“自由な思考”の中にあります。
それを忘れない限り、貧しさはあなたを支配することはありません。
まとめ:貧乏を恐れず、味方にする生き方
幸田露伴の「貧乏とはうまくつき合え」という言葉は、
単なる節約や我慢のすすめではなく、「人生への柔軟な姿勢」を教えています。
貧乏を避けるより、どう受け止めるかを選ぶ。
苦しみを恐れるより、その中で楽しむ自由を持つ。
それが、露伴が語る“努力”の真の意味です。
貧しさを恥じるのではなく、そこから何を学べるかを見つめる――
そのとき、人はどんな状況でも、静かに、そして力強く生きていけるのです。
