「愛は借りがあってもいい」──返しても返しきれない“愛の借り”に生きる喜び
愛は借りがあってもいい──返しても返しきれない“愛の借り”に生きる喜び
私たちは普段、「人に借りをつくってはいけない」と言われて育ちます。
誰かに助けてもらうと、「早く返さなくちゃ」と焦ってしまう。
恩を受けたままでいるのは、どこか落ち着かない気持ちになります。
けれど、ローマ人への手紙13章8節は、こう語っています。
「誰に対しても、何の借りもあってはならない。
ただ、互いに愛し合うことについては別である。
人を愛する者は、律法を全うしている。」
(ローマ人への手紙 13章8節)
つまり──
愛という借りだけは、あってもいい。むしろ、あった方がいい。
「愛の借り」は、返しても返しきれないもの
お金や物の借りは返せますが、
愛の借りは、どれだけ返しても返しきれません。
なぜなら、愛は形のない贈り物だからです。
- 誰かの優しさに救われたこと
- 何気ない励ましの言葉に涙したこと
- 無償の支えに心が温まったこと
その一つひとつが、私たちの中に残り、
“恩”や“感謝”として息づいています。
愛の借りとは、人生を豊かにする記憶のこと。
そしてその借りを返そうとする心が、
また新しい愛を生み出していくのです。
愛は「与え合う」ことで循環する
人間関係の中で最も美しいのは、
「与える人」と「受け取る人」の間に起こる愛の循環です。
受け取った愛を、その人に直接返せなくてもいい。
今度は、別の誰かに同じ優しさを渡せばいい。
たとえば──
昔あなたを助けてくれた人に今は会えなくても、
困っている誰かを見つけて、そっと手を差し伸べる。
それだけで、あなたの中にあった“愛の借り”は、
形を変えて誰かのもとに届きます。
愛とは、返すものではなく、流れ続けるもの。
それが、神が人に託した「愛の法則」なのです。
「愛を借りている」と意識することが、人を優しくする
愛を借りているという意識を持つ人は、
自然と謙虚で、思いやりのある人になります。
「自分も誰かに支えられている」と気づくことで、
他人に優しくできるようになるからです。
反対に、
「自分は誰にも頼らずに生きている」と思う人ほど、
他人にも厳しくなってしまいます。
だからこそ、こう思ってみましょう。
「私はいま、愛の借りを返しながら生きているのだ」と。
その意識が、あなたの言葉や態度をやわらかく変えていきます。
人を愛することが、最高の“恩返し”
聖書は言います。
「人を愛する者は、律法を全うしている」と。
つまり、
愛すること自体が、すべての教えを満たす生き方なのです。
親から受けた愛、
友人から受けた励まし、
誰かの祈りや想い──
それらをすべて抱えて、
今度はあなたが誰かを愛する番です。
それが、神が望む“最高の恩返し”です。
おわりに──愛の借りは、人生を照らす光
私たちは皆、知らず知らずのうちに
多くの人から愛の借りを受けて生きています。
その借りは、返しても返しても終わらない。
けれど、それでいいのです。
愛は借りがあってもいい。
むしろ、その借りこそが、人を成長させ、人生を照らす。
今日、あなたを支えてくれた誰かを思い出してみてください。
その人への「ありがとう」を、
次の誰かへの優しさとして返していきましょう。
そうして愛は、あなたの中で途切れずに流れ続けていくのです。
