自己啓発

「違い」は衝突の種にも、成長のきっかけにもなる──幸田露伴『努力論』に学ぶ、摩擦を減らす人間理解の知恵

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「違い」が争いを生む──露伴の冷静な洞察

幸田露伴の『努力論』は、努力そのものを超え、人間関係や社会の本質にまで踏み込む深い洞察書です。
第221節「二者の差が食い違いと衝突を生む」では、私たちが日々直面する“対立”の根本原因について、極めて現実的な視点で語られています。

露伴はこう述べています。

「どちらがよくてどちらが悪いということはないが、AとBの二者のあいだに知識の差がある場合、それがかみ合わないことが両者の不満を生み、衝突と闘争の原因となることが多い。」

つまり、衝突は善悪の問題ではなく、“差”の問題なのです。
相手が悪いわけでも、自分が正しいわけでもない。
ただ“理解や立場のズレ”が生まれたとき、それが摩擦を生み出す──露伴はその構造を明快に言語化しています。


「差」があること自体は悪くない

露伴は、まず「差」そのものを否定していません。
知識、思想、感情、道徳──どれも人によって異なるのが自然です。
むしろ、それが社会を豊かにし、個々の個性を生み出している。

しかし、その「差」がかみ合わないまま放置されると、
摩擦が起こり、やがて衝突に発展するのです。

「その違いが単に論理的なことであればまだよいのだが、感情面が加わってくると、それでなくても摩擦が多い機械にゴミや砂がまじるようなことになり、いよいよ問題が大きくなってしまう。」

ここで露伴が使う「機械」の比喩が印象的です。
人間社会という機械は、もともと多少の摩擦を伴って動いています。
しかし、そこに“感情”という異物が混ざると、動きが鈍り、やがて壊れてしまう。


衝突の原因は「感情のゴミ」

論理的な違いであれば、話し合いで解決できます。
ところが、感情が絡むと問題は複雑化します。

たとえば──

  • 上司と部下の意見の食い違いが、プライドの問題に変わる
  • 夫婦の意見の相違が、「理解されない悲しみ」に変わる
  • 同僚の考え方の違いが、「嫉妬」や「敵意」にすり替わる

こうして「理性的な問題」が「感情的な争い」へと変化していくのです。
露伴はこれを「摩擦の多い機械にゴミが混ざる」と表現しました。

つまり、感情のゴミこそが、人間関係を壊す最大の要因なのです。


「差をなくす」のではなく「差を理解する」

露伴は、差をなくすことよりも、差を理解しようとする態度を重視しています。
人間の思想や道徳、感情の差は決して消せるものではありません。

「思想の差、感情の差、道徳の差など、どんなものでも差があれば、うまくかみ合うことができない。そして、うまくかみ合うことができなければ、必ず衝突して無益な摩擦を生じ、お互いに攻撃し傷つけ合うことになるものだ。」

ここで露伴が警告しているのは、
**「自分の尺度だけで他人を測る危険」**です。

自分の考えが正しいと思えば思うほど、
相手の考えを否定しやすくなり、差が拡大します。

本当に成熟した人間とは、

  • 自分と違う価値観を受け止め、
  • 相手の立場からも物事を考え、
  • 衝突を避けるための“調整力”を持つ人。

露伴のいう「努力」は、単に仕事や学問だけでなく、
他者理解の努力でもあるのです。


差を調和させる力が「社会の潤滑油」

露伴は前章(第220節)で、社会を「機械」にたとえました。
そしてこの章では、その機械の歯車同士の「かみ合わせ」を問題にしています。

AとBという二つの歯車は、形が少し違えばうまく回りません。
けれども、互いの形を理解し、噛み合うように調整すれば、
摩擦は最小限になり、力は最大限に伝わります。

この“調整の努力”こそが、露伴のいう「知性」や「人間の成熟」です。

現代社会でも同じです。

  • 経営者と社員
  • 若者と高齢者
  • 異文化の人々

それぞれに「差」があるからこそ、対立も生まれる。
しかし、その差を理解し合えば、新しい価値が生まれる。

露伴の思想は、まさに**“対話による調和の哲学”**なのです。


現代における「差との向き合い方」

SNSやグローバル化が進む現代では、
価値観や意見の違いに触れる機会が増えました。

しかしその一方で、

  • 少しの違いで炎上する
  • 批判が分断を生む
  • 「敵」や「味方」を決めて争う

といった構図が目立ちます。

露伴が生きた明治時代と比べても、
私たちの社会はさらに“差が可視化された時代”に生きています。

だからこそ、露伴の言葉が今こそ響きます。

「うまくかみ合うことができなければ、必ず衝突して無益な摩擦を生じる。」

「差」を受け入れ、「摩擦を減らす」こと。
それが、現代社会を円滑に動かす唯一の潤滑油です。


おわりに:衝突を避けるのは、弱さではない

幸田露伴の『努力論』は、「努力=闘争」ではなく、
「努力=調和の追求」として描かれています。

「どちらが悪いということではない。ただ、差があるからかみ合わないのだ。」

この言葉には、他人を責めない柔らかな知恵があります。

人は皆、異なる歯車をもって生まれている。
だからこそ、すれ違いがあり、摩擦があり、成長がある。

衝突を避けるのは、臆病ではなく“成熟”です。
そしてその成熟こそ、露伴が説く「努力の到達点」なのです。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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