「劣悪な感情は捨てよ」――幸田露伴『努力論』に学ぶ、心の品格を守る生き方
「笑ってはいけない」と露伴が伝えた意味
幸田露伴は『努力論』の中で、転倒した老婦人を見て笑うような感情を例に挙げています。
その場にいた多くの人が同じように笑っていたとしても、それは「正しい感情」とは言えない――露伴はそう断言します。
彼が指摘するのは、“多数派の感情”が必ずしも“正しい感情”ではないということ。
周りがそう感じているからといって、私たちがその感情に同調してしまえば、自らの心の品位を落とすことになります。
「劣悪な感情」とは何か
露伴が言う「劣悪な感情」とは、人間の内面を粗雑にし、他者への思いやりを失わせるような感情のことです。
たとえば――
- 他人の失敗を見てほくそ笑む
- 弱い立場の人を軽んじる
- ネガティブな話題で盛り上がる
これらは一見、些細な日常の一コマかもしれません。
しかし、その積み重ねこそが、心を濁らせ、品格を損なっていくのです。
露伴の言葉は、現代のSNS文化にも通じます。
匿名の場で他人を笑いものにする風潮や、炎上を面白がる空気。
それらはまさに、露伴が百年以上前に警鐘を鳴らした「劣悪な感情」が形を変えて現れていると言えるでしょう。
感情の「正直さ」と「正しさ」は別物
現代では、「自分の感情に正直であれ」という言葉がよく使われます。
確かに、感情を押し殺すことは心に悪影響を与えます。
しかし露伴が言うのは、“正直であること”と“正しいこと”は違うという視点です。
たとえば、転んだ人を見て笑ってしまうのは「正直な感情」かもしれません。
でも、それをそのまま行動に移すのは「正しい感情の使い方」ではありません。
正しい感情とは、他者の痛みを自分のことのように感じ取ることができる心。
それは本能的な感情を超えた、知性ある人間の感情です。
劣悪な感情を手放す3つのステップ
1. 感情を“選ぶ”意識を持つ
感情は自然に湧くものですが、行動に移すかどうかは自分で選べます。
怒りや嘲笑の感情が出たとき、「この感情を表に出すことはふさわしいか?」と一呼吸置くことが大切です。
2. 他人の視点で感じてみる
転んだ老婦人を笑う代わりに、「もし自分の家族だったら」と考えてみる。
他人の立場に感情を移すことで、自然と共感が生まれます。
3. 美しい感情に触れる
心を穏やかにする音楽、自然、文学に触れること。
良質な感情は、良質な刺激によって育ちます。
露伴自身も“芸術や読書は心を高める最良の修練”と述べています。
「感情の格」は生き方の格
劣悪な感情をそのままにしておくと、行動も言葉も荒くなり、人間関係もぎくしゃくしていきます。
反対に、優しさ・思いやり・誠実さといった感情を意識的に育てることで、周囲との関係が驚くほど円満になります。
つまり、感情の格は、そのまま生き方の格になるのです。
露伴の「劣悪な感情は捨てよ」という言葉は、単なる道徳的な戒めではなく、人生を上質に生きるための実践的な知恵なのです。
まとめ:「正直」より「上品」な感情を選ぶ
幸田露伴の教えを現代風に言い換えるなら、
“正直な感情”よりも、“上品な感情”を選びなさい。
感情をコントロールすることは、我慢ではなく、心を磨く行為です。
その選択を積み重ねることで、私たちはより成熟した人間へと成長していけるのです。
劣悪な感情を手放すことは、自分を美しく保つこと。
今日から、心の中に少しずつ「静かな品格」を育てていきましょう。
