昨日の自分を弁護するな──幸田露伴『努力論』が教える、本当の成長に必要な「自己否定の勇気」
昨日の自分を弁護するな
私たちは「成長したい」「変わりたい」と願いながらも、心のどこかで“昨日までの自分”を守ろうとしてしまいます。失敗したことを反省するより、「仕方がなかった」と理由をつけて正当化してしまう──。
幸田露伴の『努力論』の一節「昨日の自分を弁護するな」は、そんな人間の弱さに鋭く切り込みます。
露伴はこう語ります。
「これまでの自分に不満を感じるのなら、それを改めればいいだけだ。ところが、人間は昨日の自分に愛着がある。」
つまり、人は自分を変えたいと思いながらも、無意識に“過去の自分”をかばってしまうのです。
言い訳する心が、成長を止める
誰にでも、失敗や反省すべき過去があります。しかし、その過去を守ることにエネルギーを使うと、成長のための力が残りません。
たとえば、
- 「忙しかったからできなかった」
- 「自分には向いていなかった」
- 「あの環境では無理だった」
このように“昨日の自分”を弁護する言葉は、耳ざわりがよく、心を守ってくれます。しかし、それと引き換えに「変わるチャンス」を失ってしまうのです。
露伴は、「昨日の自分を弁護しながら、昨日より良い結果を望むのは無理だ」と断言します。昨日と同じ考え方、同じ行動を続けていれば、結果が変わるはずがないからです。
成長する人は、「昨日を壊す勇気」を持つ
本当に成長する人は、過去の自分を壊すことを恐れません。
昨日のやり方を疑い、昨日の判断を見直し、昨日の自分を“超える”ために今日を生きるのです。
それは決して自分を否定することではなく、“より良い自分に進化するための更新作業”です。
露伴が説く「昨日の自分に打ち勝つ」という表現には、自己否定の苦しみを乗り越えた先にある「自己超越」の意味が込められています。
たとえば、
- 昨日サボってしまったなら、今日は5分でも手をつけてみる。
- 昨日言い訳したなら、今日はまず行動してみる。
- 昨日できなかったことを、今日もう一度挑戦してみる。
小さな変化であっても、“昨日より一歩前に出る”ことが、成長の証なのです。
「昨日の自分を守る愛着」が変化を妨げる
人間は、自分を否定することに強い抵抗を感じます。なぜなら、過去の自分を否定することは「自分の存在を否定するように感じる」からです。
しかし、露伴の言葉が示すように、成長のためには一度“古い自分”を壊さなければなりません。昨日の自分への愛着を手放せば、変化は驚くほど早く訪れます。
過去の自分は、今の自分を作るために必要だった存在です。
でも、それにすがりつくと、新しい自分が生まれません。
昨日の自分を守るのではなく、感謝して送り出す。
「ありがとう、でも今日はもう少し前へ進むね」
そんな気持ちで、自分を更新していくことが大切です。
「つらい思いに耐える」ことが成長の証
露伴はこう締めくくります。
「自分を新しくしようと思うのであれば、つらい思いに耐えて、昨日までの古い自分に打ち勝たなければならない。」
変化には痛みが伴います。なじんだ考え方や行動パターンを捨てるのは苦しいことです。しかし、その痛みを乗り越えた先にしか“新しい自分”は生まれません。
成長とは、楽な道ではなく、つらいけれども前へ進む選択を繰り返すこと。昨日の自分を弁護せず、静かに乗り越える──それが本当の努力の姿なのです。
まとめ:成長とは、「昨日への言い訳」を捨てること
幸田露伴の「昨日の自分を弁護するな」は、自己成長を阻む最大の敵が“言い訳”であることを教えてくれます。
昨日の自分を守るのではなく、超える。
その決意を持てる人こそ、着実に前へ進む人です。
変化を恐れず、昨日の自分に打ち勝ち、今日という一日を“更新の時間”にする──。
それこそが、露伴が説く「努力」の本質なのです。
