すべては実行に始まる──新渡戸稲造『人生雑感』に学ぶ、行動から生まれる真の知恵
理論は、行動のあとから生まれる
新渡戸稲造は、『人生雑感』で次のように述べています。
「どんな学問でも、学説というのはすべてあとから出てくるものだ。私たちは学説に合わせて実行するなどということはない。実際には、人間が実行したあとになって、はじめて学説ができてくるものだ。」
この言葉は、単に「行動が大切だ」という一般論ではありません。
新渡戸は、“人間の知恵”そのものが、行動の結果として生まれると説いているのです。
つまり、行動が先、理論は後。
知識や理屈を完璧にしてから動くのではなく、まず動いてみる。
そこから初めて、経験に基づいた「生きた学び」が生まれるのです。
「実行が先」で、「学説は後」
「物事というのは、すべてはじめに実行があるのだ。」
新渡戸は、あらゆる分野に共通する真理をここで断言しています。
歴史を見ても、最初に行動した人が道を切り開き、
そのあとに理論が整えられ、体系化されてきました。
- ニュートンが「万有引力の法則」を発見したのは、りんごが落ちる“現象”を観察したあと。
- 科学や医学の進歩も、まず“試み”という行動から始まった。
- 芸術も哲学も、最初は“感じて表現した”行為が出発点だった。
すべては「やってみる」から始まる。
行動がなければ、理論は生まれない——それが新渡戸の言う「実行の原理」です。
行動のない知識は「死んだ知識」
知識だけを集めて行動しない人は、実は何も理解していません。
新渡戸の言葉を借りれば、学問とは「行動を通して生きるもの」。
いくら本を読み、理屈を覚えても、実際にやってみなければ本当の意味では理解できないのです。
たとえば、
- 英語の文法を完璧に覚えても、話してみなければ使えない。
- 経営の理論を学んでも、実際に挑戦しなければ何も始まらない。
- 心理学を知っても、人と関わらなければ実感は得られない。
行動のない知識は、「動かない水」のようなもの。
時間とともに濁り、腐ってしまう。
知識は行動によって初めて清らかに流れ出し、“智慧”となるのです。
「完璧を待たない」ことが修養の第一歩
多くの人が行動できないのは、「もう少し準備が整ってから」と考えるからです。
しかし、新渡戸はその考え方自体が誤りだと指摘します。
行動とは、未完成のまま始める勇気のこと。
完璧な状況など存在しません。
「やりながら考える」「動きながら学ぶ」ことこそ、人間の成長の本質なのです。
この考え方は、まさに現代の“アジャイル思考”や“PDCAサイクル”にも通じます。
新渡戸が100年以上前に説いたこの哲学は、いまなお普遍的な行動の指針なのです。
学説を作るのは「実行者」である
新渡戸は、「学説を作るのは実行した人間だ」と暗に語っています。
つまり、理論を支えるのは現場で動いた人たち。
彼らは「こうすればうまくいく」「ここで失敗した」といった経験を通して、
やがて“理論”を体系化していったのです。
あなたが何かを始めようとするときも同じです。
- 「どうすればうまくいくか」を学ぶより、まずやってみる。
- 結果を振り返ることで、自分だけの“原理”ができる。
それこそが、あなた自身の「学説」になるのです。
行動から学ぶ3つの力
新渡戸稲造の「実行に始まる」という思想を現代に生かすために、次の3つの力を意識するとよいでしょう。
① 実験する勇気
失敗を恐れずに動いてみる。
行動そのものが、最大の学びになる。
② 観察する目
実行したあと、自分の行動を冷静に見つめる。
そこにこそ、理論の種がある。
③ 改善する意志
経験を整理し、次の行動につなげる。
この循環が、真の成長を生む。
まとめ:知識より行動、行動から知恵へ
『人生雑感』のこの章が伝えるメッセージは、極めてシンプルでありながら深いです。
- どんな物事も、まず行動があり、理論は後からついてくる。
- 行動のない知識は死んだ知識。行動が知識を生かす。
- 未完成でも動く勇気が、真の修養の始まりである。
つまり、「考えてから動く」より、「動いてから考える」。
それが、新渡戸稲造の実践的な人生哲学なのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなるでしょう。
「行動せよ。理論はあとからついてくる。」
知識を積み上げるより、まず一歩を踏み出す。
その一歩が、あなた自身の“学説”を生み出す出発点となるのです。
