「好き嫌い」は生まれ持った羅針盤──幸田露伴『努力論』に学ぶ、自分の本心に従う生き方
自分の好き嫌いに素直に従え
「自分の好きなことがわからない」「周りに合わせて生きてきた」――
そんな悩みを抱える人が増えています。
しかし、幸田露伴はすでに明治の時代に、
**“好き嫌いこそが人生を導く羅針盤”**であると語っていました。
「自分の好き嫌いに素直に従うことも、気が散るのを防ぐよい方法だ。」
露伴は、気が散る=心が乱れる原因の一つに、
「本心に逆らって生きていること」を挙げています。
人は、やりたくないことを無理にやっているときにこそ、最も集中力を失うのです。
「好き嫌い」は性格の根にあるもの
露伴はこうも言います。
「人間にはもって生まれた性格というものがあり、これは好きだが、これはどうしても嫌いだという好き嫌いがある。」
ここで言う「好き嫌い」は、単なるわがままや気分の話ではありません。
それは、**性格の核にある“本能的な嗜好”**のことです。
露伴は、人の性格には「変えられる部分」と「変えられない部分」があると考えました。
そして、この“もって生まれた好き嫌い”は、
どれほど理屈を並べても、外から矯正できるものではないと言います。
「絵を描くのが好きな人は、たとえそれを禁じられたとしても絵を描くだろう。」
人の内側から自然に湧き上がる“好き”という衝動は、理屈や命令を超えたもの。
それを押さえつけて生きることは、心に不自然な歪みを生み出すのです。
「嫌いなこと」に無理をしても続かない
露伴は、人間の“嫌い”にも同じように意味を見出しています。
「医者になるのが嫌な人は、親兄弟がどれだけ勧めても絶対に医者にはならないものだ。」
どれほど周囲が勧めても、心が拒むものは続かない。
無理に合わせて努力しても、心が納得していなければ、
いずれ“気が散り”、挫折するのが人間です。
露伴は、努力の哲学者でありながら、
「努力にも方向性がある」と明言しています。
つまり――
**“嫌いな方向に努力しても、真の成果は得られない”**ということです。
「好き」を大切にすることは、自分を信じること
露伴はこう結論づけます。
「ならば逆に、それぞれの個人がもって生まれた好き嫌いを大切にし、それに素直に従うほうが、より充実した人生を送ることができるだろう。」
自分の好き嫌いを否定せず、
むしろそこにこそ“天職”や“使命”の種があると見る――。
これは、現代のキャリア理論や自己啓発にも通じる考え方です。
「好きなことをやる」というと、わがままや逃避のように聞こえるかもしれません。
しかし露伴の言う「好きに従う」とは、自分の本心に正直であれという道徳的な意味を含んでいます。
「好き」に従うと、集中できる
露伴がこの節で「気が散るのを防ぐ方法」として
“好き嫌いに素直に従う”ことを挙げた理由は明確です。
人は好きなことをしているとき、最も集中できる。
- 絵を描く人は、時間を忘れて没頭する
- 研究を愛する人は、眠ることさえ惜しむ
- 料理が好きな人は、手を動かすこと自体が喜びになる
好きなことに没頭しているとき、心は一つにまとまり、
露伴のいう「静かな光」(=安定した心)となります。
だからこそ、「自分の好きに従う」ことは、
心を治める最も自然な方法でもあるのです。
「好き嫌い」は変えてはいけないものではなく、“見極めるもの”
露伴の思想を誤解してはいけません。
彼は「嫌いなことは避けて生きろ」と言っているのではありません。
むしろ重要なのは、
「自分の本当の好き嫌いを見極めること」
です。
人はときに、
「世間的に良いとされること」
「他人に褒められること」
を“好き”だと錯覚してしまいます。
しかし、それは本心からの「好き」ではなく、
外の価値観に左右された“擬似的な好み”にすぎません。
露伴のいう「好きに従う」とは、
自分の中に眠る“自然な欲求”を見つけ、それに忠実になること。
それが、自分らしい生き方の出発点なのです。
「好き嫌い」を尊重することが、他人への寛容にもつながる
露伴の思想の優れている点は、
「好き嫌いの尊重」が自己中心ではなく、人間理解につながるところです。
人にはそれぞれ違う性格や嗜好があり、
同じ目標を共有していても、進む道や方法は異なります。
自分の“好き嫌い”を受け入れられる人は、
他人の“好き嫌い”も尊重できるようになる。
それが結果として、
対人関係の摩擦を減らし、平和な社会の基礎をつくるのです。
まとめ:好き嫌いを否定せず、味方にせよ
幸田露伴の「自分の好き嫌いに素直に従え」は、
「好き嫌いは欠点ではなく、個性の核である」
という人間理解の深い教えです。
- 気が散るのは、心が本心に逆らっているから。
- “好き”に従えば、集中が生まれ、努力が続く。
- “嫌い”を無理に克服するより、自分の特性を生かす。
露伴のこの言葉は、現代の「好きなことで生きていく」という考え方より、
もっと静かで、もっと誠実な人生哲学です。
「好き嫌いを恥じるな。
それは、天があなたに与えた方向性なのだから。」
自分の内なる羅針盤に従って生きる。
それこそが、露伴が説く“気の乱れなき努力”の原点なのです。
